“Hey Joe”を巡って

のほほん*1「「Hey Joe」という歌に惹きつけられて仕方がない」https://nhhntrdr.hatenablog.com/entry/2022/03/27/162616


ジミ・ヘンドリックス*2が謳ったことで有名な)”Hey Joe”*3について。他の男と寝た妻を殺したJoeという男が墨西哥へと逃げようとするという歌詞に注目している。なお、この方が“Hey Joe”を知ったというラース・フォン・トリアーの『ニンフォマニアック』という映画、そこで使われているシャルロット・ゲンズブールによるカヴァーも知らなかった(汗)。
“Hey Joe”の歌詞から、次のような思索が導き出されている;


今までの人生や自分を取り巻く環境を斬り捨てて、新たな自分に生まれ変わったつもりでも、過去が追いかけてくる。何て絶望的な話だろう。過去は私たちを、安易には生まれ変わらせてくれない。

今現在、聖人のように振る舞っていたとしても、ふとしたときに「でもお前、あのときに狡い行いをしたよな」「あの人を裏切り、傷つけたくせに」と囁いてくる。未精算の過去は、やがて罪悪感へと変化する。罪悪感とは恐ろしい感情だと私は思う。幸せだなと思っている最中でも、罪悪感は不意にやって来る。ときにはその人を破滅へと導こうとするかもしれない。

なら、罪悪感など感じずに生きたほうが楽なのではないか。楽だとは思うが、罪悪感を捨てることは、人間としての尊厳を捨てることのような気もして、私は結局罪悪感を捨てきれずに生きてしまう。私を人間たらしめているもののひとつが、罪悪感なのだ。


ジョーが自分の中の罪悪感に気づいているかは不明だ。だが、警察や異国の厳しい環境という形を取って、ジョーに過去の清算を強いてくるのではないだろうか。

なら、ジョーは妻の不貞を見て見ぬふりをして生き続けるべきだったのかといえば、多分違うのだろうと思う。同じく殺人を犯してメキシコに逃げようとする映画『テルマ&ルイーズ』のラストを私は思い出す。テルマとルイーズを待っていたのは、死だった。抑圧的な環境から逃げだそうとした彼女たちは、結局破滅するしかなかった。

だが、彼女たちは生き続けるために抑圧的な環境に居続けるべきだったとは思えない。行くも地獄、留まるも地獄。ただ、行く先に待ち受ける地獄の、わずかな甘い匂いに希望を見いだしてしまうのだ。ときに自己実現の受け皿になってくれるような地獄があるような気がしてならない。

私たちが「過去」からどれほど〈自由〉になれるのかというのは、哲学的にもとても重要な問題だと思う。他者を「過去」の重圧から解放するために行なうのは〈赦し〉だろう。しかし、果たして私は自分を〈赦す〉ことはできるのだろうか? 
このエントリーに触発されて、“Hey Joe”について少し調べてみた。(特に、ジミ・ヘンドリックスのカヴァーについて)別の解釈の可能性もあることがわかった。

Although the Jimi Hendrix Experience preserves the lyrics of earlier versions, it is frontman Hendrix’s military service (May 1961 – June 1962) in particular that may lead to reinterpretive speculation. Considering popular discontent with the drawn-out and devastating Vietnam War, how the U.S. government handled its exhausting conflicts, and the discharge of Hendrix himself due to perceived unsuitability, “Hey Joe” lends itself to the notion of a man treated unfairly by one whom he trusted, resolving to pursue his own sort of justice outside the law. The song, from this perspective, would present a type of anti-hero who loses his temper at another’s betrayal—be it his plain “old lady” or, metonymically, Lady Liberty—and flees to where he “can be free” from persecution both legal and, perhaps, ideological. Such an interpretation also helps approach the unnamed speaker’s lack of moral reprimand of Joe’s criminal act, as they instead even end up spurring him on to “shoot her one more time” and escape to freedom.
https://genius.com/The-jimi-hendrix-experience-hey-joe-lyrics
これによれば、Joeが殺したのはヴェトナム戦争などによって自分を裏切った(Lady Liberty [自由の女神]によって象徴される)米国という国家ということになる。因みに、Joeというのは、日本語でいえば太郎に相当するような無個性的な名前で、米国人男性を漠然と指す。Average Joeというと典型的米国人、Decent Joeは良き米国人*4
また、Joeは生きているのか死んでいるのかという問題もある。


LYRA SKY「Hey Joe / Jimi Hendrix Experience 和訳 Run On Down Where You Can Be Free! 解説」https://lyra4m.com/jimihendrix-heyjoe/


この人によれば、Joeは語り手の目の前で射殺されてしまっている。


妻を殺した男は、逆に主人公に話し出す。

メキシコに逃げて自由になる所を探す、と。

主人公は心配しているようだが、逃げ続けろとアドバイスする。

だが、心配するな大丈夫、っと話していた妻殺しの男は、撃たれてしまうのだ。

主人公は、それを見て悲しみの嗚咽を漏らすが「逃げ続けろよ」と話しかけて終わるのだ。

これは、妻殺しの男の歌。

だが、意味のない戦いに思えた悲惨な戦地を見たJimiの気持ち、つまり、やるせ無い気持ちを表した歌なのだと思う。

だから、Jimiはこの歌を選びヴェトナム戦争が勃発している時期にあえて歌ったのだ。

自由のある世界へ逃げろ、と。

アウトロの

Hey Joe
You better run on down
Goodbye everybody, ow!
Hey Joe, uh
Run on down
をどう解釈するかという問題だけど、どうだろうか?
そういえば、”Hey Joe”が収録されたディスクで私が持っているのは、和蘭製の怪しいコンピレーション盤と2013年にリリースされたMiami Pop Festivalだけだったのだ。