小林/金剛

『スポーツ報知』の記事;


ストロング小林さん死去 81歳 74年蔵前「昭和の巌流島」を戦ったアントニオ猪木氏「ありがとう」
1/7(金) 6:00配信


スポーツ報知

 元プロレスラーで俳優としても活躍したストロング小林さん(本名・小林省三)*1が、昨年12月31日午前7時21分、東京・青梅市内の病院で、のう肺(肺が炎症を起こす病気)のため亡くなっていたことが6日、分かった。81歳だった。1974年3月に当時、禁断とされ「昭和の巌流島」と呼ばれた団体の枠を超えた日本人対決、アントニオ猪木戦を実現させ、昭和プロレス史を彩った。かつての戦友に、78歳の猪木氏は6日、「ストロング小林選手、ありがとう」と追悼コメントを発表した。

 昭和プロレス史に残る数々の名勝負を残した小林さんが旅立った。

 関係者によると小林さんは、4年前から腰椎損傷で下半身が動かなくなり青梅市内の特別養護老人ホームで1週間のうち4日間、3日間を青梅市内の自宅で生活をしていた。昨夏からは老人ホームで暮らすようになり、昨年11月に肺を患い青梅市内の病院に入院。暮れの12月30日に容体が急変し、家族に見守られながら、大みそかの朝に息を引き取った。

 小林さんは、1940年12月25日に東京・本郷生まれ。戦時中に青梅市疎開し、同市で育った。高校卒業後に国鉄(現在のJRグループ)に入社し南武線稲城長沼駅へ勤務。25歳の時にボディービル会場でスカウトされ国際プロレスに入門。67年7月27日に日本人初の覆面レスラー「覆面太郎」としてデビューした。

 その後、素顔となりリングネームを「ストロング小林」と変えてからは、欧州、米国のマットを席巻。国際プロレスのエースとして活躍し、71年6月にIWA世界王座を奪取し、名実ともに国際プロを支えるスターレスラーとなった。

 代名詞的な戦いは「昭和の巌流島」といわれた74年3月の猪木戦だ。74年2月に新日本プロレスに引き抜かれた後、蔵前国技館で当時、禁断とされていた団体の枠を超えた猪木との日本人対決を実現させた。

 75年5月には新日本プロレスに入団し、坂口征二とのタッグで北米タッグ王座を獲得。新日本の屋台骨を支えた。81年秋から腰痛を悪化させ長期欠場となった後、84年8月26日に東京・福生市体育館での興行で現役を引退した。

 引退後は芸名を「ストロング金剛」とし、映画、ドラマ、バラエティー番組など多方面で活躍。中でもTBS系「痛快なりゆき番組 風雲たけし城」では悪役として一般参加者を追い回す姿で絶大な人気を得た。95年1月からは芸能活動も休止し、青梅市内の自宅で生活をしていた。

 ◆ストロング小林 本名・小林省三。1940年12月25日、東京都生まれ。ボディービルダーから転向し、67年7月に国際プロレスからデビュー。獲得タイトルはUSAヘビー、IWA世界ヘビー、IWA世界タッグ(相棒は豊登グレート草津永源遥)、坂口征二とのNWA北米タッグ、アジアタッグ王座など。現役時代のサイズは187センチ、125キロ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a8778b4a7823ba2713c0f8340251d2c00d5b5fbf

ストロング金剛」としてのデビュー作、『伊賀忍法帖』は未見なのだった(汗)。映像の中のストロング金剛を最初に見たのは『水戸黄門』だった。『探偵物語』でストロング金剛を見たのは21世紀に入ってから*2。1980年代後半は何といっても『風雲たけし城*3