「あまりにも強烈」

承前*1

石黒隆之*2鬼束ちひろ逮捕報道で“自称シンガーソングライター”って…。その強烈な才能」https://news.yahoo.co.jp/articles/da47a47c3e05940118acd1ae1597400db155ccb7


朝日に「 自称シンガーソングライター」と報道された鬼束ちひろについて。


でも、それで片付けるには、<I am God’s child この腐敗した世界に堕とされた>(「月光」作詞・鬼束ちひろ)というフレーズは、あまりにも強烈すぎました。発売から21年経ったいまも、世代を超えてインパクトを残す1行をもつ楽曲。ほとんどのソングライターがここまでの爪痕を残せないことを思えば、鬼束ちひろを“自称シンガーソングライター”と呼ぶことが、どれだけナンセンスかわかるはずです。

さらに音楽的なことを言えば、同時代にデビューした宇多田ヒカル椎名林檎などと比較して、鬼束ちひろがより純度の高いソングライターだと言うこともできるでしょう。

 自らをプレゼンテーションする企画力に長けている宇多田や椎名林檎とは異なり、鬼束ちひろは言葉とメロディを結びつける能力、その一点突破によって個性を確立してきました。


際立つのは、歌詞とメロディがお互いに反語のように裏切り合う作風です。つまり、苦しみ、痛み、傷を歌詞にしたためながら、メロディやハーモニーがとことん麗しく優しい。緊張と緩和のつばぜり合いが、楽曲を動かすエンジンになっているのですね。

 たとえば、空虚さと無力さの中にひんやりとした美を見出す「流星群」や「Sign」は、Jポップには類を見ないスケールの大きさを感じる傑作です。

 さらに、<貴方の腕が声が背中がここに在って 私の乾いた地面を雨が打つ>(「眩暈」作詞・作曲 鬼束ちひろ)も忘れがたい一節です。歌詞の執拗さとメロディのダイナミックな上下動を、裏声が儚く包み込む。こうした本質的な音楽の瞬発力とアイデアこそが、鬼束ちひろを聴く醍醐味なのです。