正門から児童公園へ

竹内章「「京都に来て最初にガッカリしたのはこれ」 小説にもなった“あの門”は、昭和な遊具のすぐそばに」https://news.yahoo.co.jp/articles/b686a9de9f5acbcc0cdb8003606c580b5a9cc3aa


曰く、


イカリング〄(@ikaring63036919)さんが「京都に来て最初にガッカリしたのはこれ」と公開した画像の場所はとある公園。昭和テイストあふれるの滑り台のそばに石碑があり、「羅城門遺址」(らじょうもんいし)*1と刻まれています。小説の「羅生門」を想像したユーザーが、そのギャップに共感したのでしょうか、2万5千のいいねがつきました。

羅城門は、794年に遷都された平安京の真ん中を南北に走るメインストリート・朱雀大路の南の端の大門であり平安京の正門でした。「羅城」とは都の城壁を意味し、唐の長安に倣っています。羅城門の大きさは左右33メートル、奥行8メートルで二重閣瓦屋根造。816年の大風で倒壊した時には再建されましたが、980年の暴風雨で損傷してからは修理されることなく荒れ果てるままだったとされます。

京都市歴史資料館のサイト「フィールド・ミュージアム京都」によると、石碑は1895(明治28)年、平安遷都千百年紀念祭の事業の一つとして建てられました。796(延暦15)年の創建以来、位置が不動とされた東寺の南門を基準点に計測して、九条通の南端の位置を定め、さらに計測して朱雀大路の中心である羅城門の中心を決めたとあります。考古学的には羅城門の遺構はまだ発見されていないそうです。

行ったことはないのだけど、普通の児童公園になっているのが何とも言えない哀愁を漂わせていて、いいと思った。ところで、この児童公園がある場所の地名は「南区唐橋羅城門町」。京都では、地名によって歴史的想像力が喚起される。

なお芥川龍之介の小説「羅生門」は、今昔物語集巻二十九の「羅城門上層ニ登リテ死人ヲ見シ盗人ノ語」を素材にして、羅城門の楼閣上における生と死を描いています。また、ベネチア国際映画祭で最高の栄誉であるグランプリを獲得した。黒澤明監督の映画「羅生門」(1950)*2は、芥川の小説「藪の中」をもとにしています。(後略)
ところで、応天門は今どうなっているの?