「世間」知らず(メモ)

佐伯真一『戦場の精神史』*1に、慶応4年3月21日付、伊藤博文宛の木戸孝允桂小五郎*2の書翰の一節が引用されている(p.242)。西暦では1868年。あと半年で「明治」に改元される。


元来日本は是まで世間に交はらず、日本丈けにて、武士道と歟申、士は一種の流儀これ有り。また愚民に至り候ひては、絶へて海外世間の事は存じ申し候はざるに付き、およそ世間に相叶ひ候ふ規則は相立て候ひて示し置き候ふ方、愚民の為にも然るべきかと存じ候ふ。
「世間」のこういう用法もあったんだね! 日本人は総じて「世間」知らずだったということになるが、ここでいう「世間」は、21世紀だったら、国際社会とかグローバル社会と表記されているだろう。国際世間。
ところで、江戸時代も押し詰まって幕末になる頃には、「士」と「愚民」という二項対立は既に自明のものとなっていたのだろうか? 江戸時代の初期には、「士」のレゾン・デートルが問題となっていたのに!

北条氏長は(略)その著『士鑑用法』(正保三年=一六四六)において、兵法を国家の大事、「天下の大道」として位置づけた。その序は、「それ兵法と云ふは士法なり」と始まり、『孫子』の「兵は国の大事」云々の句を引いて、「兵と云ふは士をさして云ふ」と続く。つまり、武士は国家にとって重要な存在だが、それはなぜかというのである。
人間の衣食住のどれが欠けても生きられない。そのために、農耕をするのが「農人」、器や家を作るのが「工人」、器や食を運ぶのが「商人」、これを「三宝」という(仏教語の仏法僧を指す「三宝」の転用であろう)。しかし、国を守護する者がないと盗人が出てくるので、これを征伐して平和を守る役人が必要である。それが「士」で、これを加えて「士農工商」というのである。『士鑑用法』は、いかにして戦に勝つかを説いた兵法書だが、軍事の具体論に入る前に、「士」をこのように位置づけた序を掲げるわけである。(p.223)