車麩(メモ)

平松洋子*1「ふ、ぷかり」『本の窓』(小学館)399、pp.72-76、2020


「車麩」について語られている箇所を写しておく;


はじめて車麩を見たとき、混乱した。
かさかさに乾いたきつね色の太い丸太棒で、長さ三十センチ以上、中心に穴が通っている。なにかの道具だろうか。
沖縄に旅した最初のころ、一九八〇年代の終わりで、市場はカオスさながらだった。のっけから話はずれるけれど、イラブーの乾物も異様だった。イラブー、つまり海へびを一週間もかけて徹底的に燻したもの(その後、久高島でイラブーを燻煙する専用の小屋を覗かせてもらったこともあるのだが、梁や壁いちめんがコールタールをねっとりと塗りこめたように黒々と変色したすさまじい光景だった)。市場の奥の一角に無造作に置かれており、がちがちに硬い漆黒、うっすらと艶を帯びて不敵に光る輪っか、これは魔女の杖のかたわれだろうか。じっさいには沖縄の郷土料理イラブー汁の材料で、必要なぶんだけナタでぶった切って工事みたいに寸断する。ウチナーンチュのソウルフード、イラブー汁は、海沿いの洞窟に潜ってイラブーを手づかみで捕るところからして圧巻のおこないの成果だ。
車麩の話にもどろう。車麩は、いざ持ち上げると拍子抜けする。腕より太いかさばりと長さがあるのに、羽のようにふわふわと軽いので、がぜん興味をそそられた。これを買って帰りたい。こんなばかでかいもの、やめておけ。自分との戦いに負けて苦笑いがでた。なにしろ、あのころ、東京では沖縄の食材はめったに手に入らなかった。
話には、まだ先がある。台所でも、いちいち展開が激しい。ざっくりとちぎって水に浸すと、水分を吸収して縮み、しとしとの布切れ同然になる。いったん絞って水けを切るのだが、あんなにかさついていたのに、目を見張るほどの強度。これを溶き卵に浸し、野菜といっしょに炒めると、沖縄名物フーチャンプルーが出来上がる。
こんなガッツのある麩を食べたことがなかった。実在感というのか、肉に似たがっつりとした食べごたえ。歯のあいだでくいくい抵抗を返してくる。麩というより生きもののようだ。たちまちやみつきになり、知り合いが沖縄に行くと聞けば、迷惑をかえりみず無理やり頼んで買ってきてもらったりしていた。(後略)(pp.72-73)