亮和*1「馬頭観音を調べてみた」https://ryona.hatenadiary.jp/entry/2021/04/01/124752
龍光山正宝院*3「馬頭観音」http://tobifudo.jp/butuzo/kannon/batou.html
株式会社MORITA「馬頭観音」https://www.butuzou-world.com/dictionary/bosatsu/batoukannon/
「馬頭観音」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E9%A0%AD%E8%A6%B3%E9%9F%B3
“Hayagriva (Buddhism)” https://en.wikipedia.org/wiki/Hayagriva_(Buddhism)
坂本優「馬捨て場と馬頭観音、そして近藤勇――私たちに身近な生物多様性・番外1」https://www.alterna.co.jp/14296/
興味深いので、ちょっと長めの引用をする;
新撰組隊長、近藤勇は、馬捨て場で処刑されたとも言われる。JR板橋駅の東口を出ると、正面に、永倉新八によって建立された近藤勇の墓がある。そして、この墓の北東100mほどのところには、江戸時代、しばしば馬捨て場の目印に使われたという、馬頭観音の古い石碑がある。処刑の場はこの周辺とも推測されている。
江戸時代、命を終えた牛馬には、多くの地域で、決められた置き場があった。これが馬捨て場の由来である。その当時、実際にどのように呼ばれていたのかは知らないが、今に伝わる「馬捨て場」という表現に、かつて私はなんとも釈然としないものを感じていた。
多くの馬は、宿場の駅馬にせよ、農耕馬にせよ、飼い主にとっては、家族同様に大切な馬だったろう。命を終えた途端に、「捨てる」というのは、心情を察するに違和感があったからだ。
馬捨て場は何故設けられたのか。その主な理由の一つは、牛馬の皮革を効率的に採集するためである。死を忌む当時の宗教観も背景にある。持ち込まれる亡きがらの解体、皮の採集は、弾左衛門配下の被差別民によってなされた。
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/10/09/161942 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/02/02/153454
*2:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130409/1365532728 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/02/10/160701 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/12/29/112402 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/01/09/235906 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/04/01/025541
*3:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20161017/1476673124 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/05/16/095111 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/05/04/025138