新宿 by 羽田圭介

羽田圭介*1羽田圭介の地名と作品 新宿三丁目 『デッドライン』」『ふれあいの窓』(東京都交通局)309、p.15、2021


千葉雅也*2『デッドライン』をスターターとして、「新宿」を語る。


自分の学生時代はというと、異性と夜会いはするものの、決定的なことは言えずに解散し、終電もなくなった時間に夜の新宿へ一人繰り出していた。埼玉の実家へタクシーで帰る金もない。人気のない南口のサザンテラスあたり*3の風景が好きだったが、どのベンチにも寝るのを妨害するための柵が設けられておりそれほど長いもできず、歌舞伎町近辺へ足を延ばすのが常だった。
当時ホストブームで、客引きに関する条例も今ほど厳しくなかったから、明かりに彩られた歌舞伎町を歩いていると、髪を盛りに盛りまくった自分と同い年くらいの男たちとすれ違った。自分も青年らしくワックスで髪をツン立ててはいたが、傷むまでパーマをあてたり染めたりした髪で、少し窮屈そうなスーツ姿で街に繰り出す彼らは、男としていつでも臨戦態勢というか、覚悟が違うような気がした。
二丁目に流れると、雑居ビルに入った無数のスナックやラブホテルが多くなり、喧騒が一気に止んだ。静けさに心が落ち着くような感もあったが、無数のスナックのどれにも自分は縁がなく、最終的には歌舞伎町の牛丼屋で小腹を満たしつつ時間もつぶし、始発電車で埼玉へ帰った。
東京で一人暮らしを始めてからは新宿で始発電車を待つことも無くなった。二丁目のスナックへは、仕事相手に連れられて行く機会もままあり、それほど楽しいとも思わないが、ハードルの高さはもう一切感じていない。
時折、あの頃散々経験した、夜の新宿の徘徊に、無性に憧れる。東京の都心部に住む今だったら、ふらっと深夜に散策し、飽きたらタクシーで気軽に帰れる。しかし、埼玉に住んでいたあの頃は可能だったそれが、新宿からそう遠くないところに住んでいる今はできない。時間の貴重さを知ってしまったからだ。そういうふうにして、桃源郷のような場所は、人生の中でどんどん増えてゆくのだろう。