名前の禁忌?

ジョージ・オーウェルGeorge Orwell*1というのは本名ではない。本名はEric Arthur Blair(See 川端康雄『ジョージ・オーウェル』、p.3)。この筆名は『パリ・ロンドン放浪記』を上梓する際につけられたが、オーウェル(ブレア)は、自分の本名が印刷され、誰かがそれを切り取って呪いをかけることを恐れていたという(p.63)。
記号論的(修辞学的)に考えれば、名前というのは体毛や衣服や糞便と同様に、私の附属物として私とは換喩的な関係にある。世界中にあるであろう名前のタブーというのは、私本体を守るために私の名前を隠蔽したり偽装したりして、悪意ある他者(妖術師や悪霊)が私の名前に接近することを阻止するためにあると言えるだろう。日本人や中国人にとっては、こうした名前のタブーというのは当たり前すぎていちいち意識するまでもないことだけど、英語圏にもそのような信仰というのは存在していたのか(存在しているのか)。
ところで、Eric Arthur Blairということで気になるのは、ジョージ・オーウェルと後の英国首相であるトニーとの間に親戚関係や同族関係はあるのかどうかということ。