「不安」を巡って(帚木蓬生)

林奈緒美*1感染症と闘う 作家・帚木蓬生さんに聞く 上」『毎日新聞』2021年1月27日


精神科医/作家の帚木蓬生氏へのインタヴュー記事。
「新型コロナの影響で、先行きが見えず苦しんでいる人たちは、不安にどう向き合っていけばいいでしょうか」という質問に対して;


患者を診ていると「介護施設に入所している母親に会えない」「子供たちが来なくなった」など孤独が募ることによって抑うつが悪化しているようです。抱えている思いを話す相手がいなければ不安は消えません。ためらわずメンタルの専門医のところへ行って話を聞いてもらい「大丈夫ですよ」と声をかけてもらえば、不安は軽減されます。また、不安というのは立ち止まると増えるものです。朝ご飯を作り、会社に行く。淡々と目の前の仕事をして、身を忙しく小さな達成感を積み上げていくうちに不安は小さく見えてくるし、雲散霧消していきます。人間は不安やハラハラ、ドキドキの状態を嫌なものと捉えてしまいますが、その状態こそが一番良い状態なのです。剣豪・宮本武蔵も「五輪書」でそう書いています。不安もまたいいじゃないですか。目の前の仕事に打ち込んでいけば、いつか出口は見えてくると思いますよ。
ただ、コロナ禍における「不安」は「目の前の仕事に打ち込」むというルーティンの崩壊*2によるものだったのでは?
反知性主義」について;

医療従事者への差別は聞いたことがありましたが、私の病院のスタッフも看護師の制服で銀行に行った際、人が離れ、遠巻きにされたと話していました。パンデミック(世界的大流行)の時は、人間の本心のようなものがむき出しになりやすく、人は手軽な解答を求めがちになると思います。手軽というのは、私に言わせれば「反知性主義*3と同じことです。新型コロナでは、米国のトランプ前大統領が医師や科学者の意見を無視して「マスクをするのは弱い人間だ」なんて言いましたが、あれは反知性主義の極致でしょう。日本でも感染拡大が収まっていない段階で政府が「GoToキャンペーン」を始めました。旅行を推奨しながら、感染拡大を防止するというのは矛盾している。心理的にも人を混乱させる、情報の悪い与え方です。新型コロナで、慎重さに欠けた政治家の姿勢や国民性が露呈したと思います。

「コロナなんか怖くない」「一時的な流行だ」なんてスローガンはいまだにはびこっています。わかりやすい言葉には国民も飛びつきやすいですし、「信じたいことを信じる」人間の心理も反知性主義と結びつきやすいものです。こうした状況は、ネット交流サービス(SNS)の存在と関係があるような気がしています。若い精神科医を見ていると、スライドを使った発表は上手でも論文を書けない人が増えています。ツイッターのように140字ほどの文章は上手でも、論を組めないというのは、恐ろしいことです。(後略)