吉川浩満*1「山本貴光くんのこと(2)」『scripta』58、pp.22-27、2021
私にとって、赤木昭夫という名前は、何よりも中公新書の『蘭学の時代』と結びついている。Wikipediaを見ると、21世紀に入ってから、米国関係の本を何冊も出していることが目を惹く。また、1988年に佐伯眸や坂村健*3との共著で刊行された『コンピュータと子どもの未来』という岩波ブックレットは読んだ筈なのだが、具体的な内容を全然憶えていない(汗)。現在の時点で読み直せば、興味深いことがけっこう出てくるのかも知れない。
〔赤木〕先生は一九三二年生まれ、東京大学文学部を卒業後にNHKに入局、科学番組の制作や解説委員を長くつとめたあと、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)設立時に環境情報学部の教授に迎えられた教員であった。いわゆる普通の学者・研究者ではなかったが、知に対する先生の旺盛な好奇心と情熱、知的探求の方法には大きな影響を受けた。
私たちが大学生であった一九九〇年代前半、赤木先生は科学史や技術論を中心に講義をされていたのだが、教員プロフィールには、文学部卒で「T・S・エリオットを研究」とあった。世間では文系と理系の学問がバキッと分かれているのに、こんな人がいるのかと、壁がひとつなくなったような開放感があった。
実際、研究会ではルネサンス文化からハリウッドの産業構造、コンピュータ・プログラミングからゴシック建築まで、じつにさまざまなテーマを探究していた。我々メンバーはそれに必死についていった。ほとんど振り落とされていたも同然だったけれど。(略)山本くんと出会ったのも赤木先生の研究会である。
その赤木先生が、山本くんと私が卒業してから一~二年経ったころ、私的な勉強会に招いてくれた。メンバーは、先生と山本くんと私の三名だけである。それ以降、最低でも月に一度、多いときには毎週末、おもに先生のご自宅で勉強会が開催されることになった。
大学での研究会と同様、テーマは古代ギリシャ哲学から現代資本主義まで、多岐にわたった。たいていお昼過ぎに集合するのだが、解放されるのはいつも夜である。前回の勉強会の内容を承けて、それぞれが互いの「宿題」の成果を発表し、それにもとづいて三人で議論をする。それが長いときには八時間、九時間、十時間に及ぶこともあった。正直かなりハードだった。
なぜ赤木先生が我々に声をかけてくれたのだろうかと、と考えることがある。
先生ご自身は、知的課題を遂行する際には反響版が必要だ――人は孤独に研究するより仲間とともに研究したほうがよい――とつねづねおっしゃっていた。まったくそのとおりだと思うが、ひょっとしたら、不肖の弟子たる我々のためを思ってという理由もあったのかもしれない。つまり、こいつらは放っておくと怠けてしまうに違いない、そろそろ会社の仕事にも慣れてきたことだろうし、このへんで引っ張り出しておこうか、というわけである。尋ねたことがないのでわからないが、それくらい細やかな気配りをする人ではある。
実際、この勉強会のおかげで赤木先生や山本くんとの関係が復活し、その後の我々の在野的共同研究――著作の執筆など――の基礎になったのだから、たいへんにありがたいことである。赤木先生との勉強会は現在も続いている。(pp.22-23)
- 作者:赤木 昭夫
- メディア: 新書