橋本嘉代*1「良くも悪くも」『ほんのひとさじ』(書肆侃侃房)15、pp.66-67、2020
曰く、
「揺れる永田町」「保護者に動揺広がる」「芸能界激震」「全米が震撼」――。「揺れる」という表現は、ネガティブなニュースで目にすることが多い。望ましくない変化によって不安定な状況や心理的な不安が生まれたときに、それらは頻出する。容疑者の供述や文章の表記に一貫性がない場合、「揺れがある」と否定的に語られる。相手によって態度を変えたり保身のためにその場しのぎのウソをつく人は軽蔑され、揺るぎない信念を持ち一貫性のある態度を貫く人はリスペクトされる。
このように、揺れることはとかく忌み嫌われる。しかし、世の中には「悪い揺れ」と「良い揺れ」がある。あえて「揺れるからこそ素晴らしい」とされているものに目を向けたい。
秋風に揺れるヒガンバナ、さざ波、星の輝き、焚き火の炎⋯⋯。自然界の「揺れるもの」は美しい。しかし、それらの輝きは儚く、一瞬で消える。だからこそ、私たちは心揺さぶられる風景に出会ったら記憶に残そうとし、インスタ映えする写真を撮り、シェアしたりもする。小説や映画、ドラマ、音楽でも、揺らぎがもたらす不安定さがスパイスとなる。詐欺師やパワハラ上司との攻防は、勝ったり負けたりの展開だから目が離せないし、揺れ動く恋心を謳う名曲も数えきれないほどある。
鴨長明は大火や大地震、飢饉を経験し、「無常観」をつづった。万物は移ろいゆくもので、良くも悪くも本質的に「揺れる」という特性を持っているのだ。(pp.66-67)
- 作者:鴨 長明
- 発売日: 1989/05/16
- メディア: 文庫