色ではなく

平松洋子「ばらばらのすし」『本の窓』(小学館)391、pp.86-90、2019


先ず「万国旗」について語られる。


万国旗がはためく風景をすっかり見なくなった。
青い空といわし雲の下、知っている国の旗も知らない国の旗も紐一本で横並びにつながれた万国旗が、小学校の校庭に何本も掛け渡されてはためく様子は秋のうれしい一場面だった。運動会が近づくと盛んにおこなわれる楽年単位の練習からして苦手だった(入退場の行進の練習は、仮病を使って抜けたことが数回ある)が、それでも、当日の校庭に万国旗がはためく光景を見上げると胸が高鳴った。いまも、小学校の運動会に行き遇うと無意識のうちに万国旗を目で探してしまうのだが、いつごろからか万国旗そのものを見ない。
時代遅れの産物なのだ。なにしろ万国旗が世間に現れたのは、日本が国際博覧会に参加しはじめた明治期なのである。博覧会会場でいろんな国旗が掲げられているのを見て、インターナショナルな空気に触発されて導入したらしい。日本が国際博覧会に初参加したのは一八六七年、パリ万国博覧会のとき。明治維新ののち、七三年にウィーン万国博覧会に参加するのだが、その前年、東京の湯島聖堂で日本初の博覧会が開催されており、これはウィーンの予行演習だったというから緊張感と張り切りぶりが伝わってくる。開国の空気が広まってゆく文明開化の時代に作られ、しかも戦争と敗戦をはさんでなお、昭和三十~四十年代にもばたばたはためいていたのだから呑気過ぎる気もする。(p.86)
そして、「満艦飾」;

万国旗といっしょに記憶をくすぐるのが「満艦飾」である。色とりどりの色彩が舞う運動会の校庭は満艦飾を絵に描いたような光景だが、かつて秋晴れの日、物干し竿にぎっしり吊るされた洗濯物の風景を「満艦飾」と言い表したものだ。祝祭日や記念日、軍艦の艦首からマストに掛けられた信号旗や万国旗の風景に似ているからなのだが、やっぱりこの言い方もさっぱり耳にしない。
「まんかんしょく」の響きは意外に歯切れがいい。私がはじめて覚えたのは、運動会の日でもなく、物干し竿の洗濯物でもなく、家の台所だった。
母は、自分がこしらえたすしの桶を眺めるたび、うっとりした響きをこめて「まんかんしょく」とつぶやいた。言葉の意味はわからなかったし、とくに訊きもしなかったが、それでも、春や秋におめもじする晴れやかな光景は「まんかんしょく」以外の何物でもなかった。(pp.86-87)
「まんかんしょく」という言葉は子どもの頃から聞いていたけれど、「しょく」に対して「飾」という漢字は思いつかず、「しょく」とは色、「まんかん」という色のことだと思い込んでいた。勿論、「まんかん」とはどういうものなのかもわからなかったけれど。
さて、「満艦飾」の「洗濯物」ということで思い出すのは、高畑勲*1の『パンダコパンダ』。
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