Chara、諏訪綾子「Salon de Bar花椿 第十三夜」『花椿』(資生堂社会価値創造本部)826、pp.26-29、2020
諏訪綾子さんは「フードアーティスト」。
会話を少し切り取ってみる;
また、
Chara 最初にフグを食べて死んだ人もいるでしょうし、牡蠣とか誰が最初に食べたんだろうね? よっぽどお腹が空いていて。「しょうがねぇ、これ食べるしかない」っていう状況だったのかもしれない。
諏訪 でも、現代に生きててもあるじゃないですか。初めて出会う食べ物や、本当に食べられるかどうかわからないものが。
Chara あるある。見たことないバランスの組み合わせとかね。
諏訪 そういうものに初めて挑戦するときの自分の内面の変化にすごく興味があります。
Chara 初めてって、なかなか出会えなくなっちゃうもんね。でも、実際知ってるのかと言ったら、聞いた話や刷り込みとかもあるじゃないですか。「もし、その予備知識がなかったらどう?」みたいなね。違ってくるよね。
諏訪 レストランでメニューを選ぶときに、どこの誰がつくった何とか風のお料理とか書いてあったり、料理写真が出てきたりするじゃないですか。実際に食べてなくても、そこで50%くらいはあじわっていると思うんです。口の中であじを想像して準備している。実際に食べたときに、思っていたよりこうだったと比較してあじあう部分もあるので、想像だけでも半分くらいはあじわえているなって。(p.27)
ところで、『花椿』のこの号、橘いずみ『煮魚を齧る』(第2回 あなたが選ぶ「今月の詩」)(資生堂、2020)という文庫サイズの小冊子が附録としてついている。
諏訪 私が出す食べものは、食材や調理法を全く明かさないんです。
Chara それはもう神秘さが増しますね。
諏訪 「これは怒りのテイストです」という感じです。そうすると、体験する皆さんそれぞれがこれまでの経験から想像してあじをつくり出すので、おもしろいんです。
Chara おもしろーい! たった一口から引き出すんですもんね。
諏訪 あじわいは感じ方で変わるし、経験値によっても変わるので、本当の意味であじわえるかどうかはその人次第なんです(笑)。(ibid.)