Ain't no excuse

生方ノリタカ氏*1曰く、


はすみとしこ*2が「双極性障害」、所謂躁鬱病だということは知らなかった。でも、この生方氏の言う通り、「双極性障害」というのは精神の強度というかテンションに関わること、つまり過剰なハイ・テンションと過剰なロー・テンションという極の交替的反復なので、「双極性障害」だから差別的発言が起こるということはないだろう。まあ、ハイ・テンションな躁のフェーズにおいて、差別発言が道徳的自制心とか損得勘定といった抵抗を押しのけて、表出されてしまうということはあるかも知れないけれど。しかし、この場合でも、差別発言は躁のせいではない。日常的に保持している差別意識が勢いに任せて表面化してしまうということにすぎないわけだから。
「2014年に名古屋市の女性(当時77)を殺害したほか、12年に中学・高校の同級生2人に硫酸タリウムを飲ませたなどとして、殺人や殺人未遂などの罪に問われた元少女(21)の裁判員裁判で、名古屋地裁は24日、元少女の完全責任能力を認め、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した」*3。この事件でも弁護側は、その〈タリウム娘〉が「双極性障害」を抱えているために「責任能力」に欠けると主張していた*4。このように、「双極性障害」という病名を〈天下御免の向こう傷〉として機能させようと目論む人々が一方にいて、他方ではそのことによって、「双極性障害」のスティグマ性は強化されていく。ここから一般人が受け取るのは、「双極性障害」の人は怖いというイメージだからだ。勿論、このように機能するのは「双極性障害」だけではない。「統合失調症」や「発達障害」も同様である。
はすみとしこを「双極性障害」だからしかたがないと免罪するのははすみとしこの人格を否定することだけでなく、「双極性障害」に対する差別を強化し、「双極性障害」を持つ人々のこの社会における居場所をますます狭めることに加担することだといえる。