「完了」というアスペクト

承前*1

大澤真幸「随伴現象説を超えて」『本』(講談社)521、pp.54-61、2019


その最後の部分を抜書きする。


自分がやっていることが何であるかという意識は、どこに介入してくるのか。自由意志の行使ということがどの瞬間に、顕在化するのか。一見、そうしたことは、行為の前であるかのように思われるが、そうではない。むしろ、他者から「(あなたは)何をしているのか」と問われたとき、あるいは自ら「(私は)何をしたのか」と反省するときであろう。このような問いや反省への回答という形式で、意識が浮上し、自由が自覚される。このとき、実際上は、私は何をしていることになるのか。
このとき、客観的に見れば、私は、私がまさにやっていること――たとえば「友人とハグしていること」(Y)――を規定している、物理的な因果関係の系列(の集合)を選択し、遡及的に規定していることになる。私が、この出来事Yまでの過程を振り返り、どの事象が大事だったのかと考える、という趣旨ではない。そうではなく、私の自省的な自覚――「私は感激してハグしているのだ」という自覚――を基準にしてのみ、この出来事Yと有意味に関連している因果系列を決定することができる、ということだ。(略)物理的な因果関係についての記述には欠けているものが、私の反省的な意識を媒介にして与えられることになる。
自由(意志)という伝統の主題との関連では、この段階で、次のように言うことができる。私の行為が、物理的な因果関係によって全面的に規定されている、ということは正しい。その意味では、確かに、自由なるものは幻想であって、存在しない、と言いたくなる。だが、どの因果関係が私の行為を規定していたことになるのかということ、そのこと自体を私が規定することができるのであり、「自由」があるとすれば、まさにこの部分である。
しかし、次のような疑問が提起されるだろう。ここに述べたことを認めるとすれば、「意識」や「心」はすでに終わった物理的な因果関係を回顧する、ということにのみ関わっているということなのか。とすれば、結局、それは、因果関係に影響を与えるものではない、ということになるのではあるまいか。そうではない。
意識は、いわば前未来(未来完了)の形式で存在し、そのことによって物理的因果関係に影響を与えているのだ。「後からの自己言及的な回顧の眼差しの中で、自らの行為を規定する有意味な因果関係を措定することになる作用」として、言い換えれば、「因果関係が有意味なものとして働くための前提を後ろから措定したことになる作用」として、それは、現在の因果関係そのものに介入している。ここで述べていることは、「規則」の存在をめぐるヴィトゲンシュタインクリプキの有名な議論の応用である。(後略)(pp.60-61)
重層的決定(過剰決定)(overdetermination)を切り崩すためのバイアスとしての「反省」あるいは「意志」。
私はアルフレート・シュッツの(たしか)”Common-Sense and Scientific Interpretation of Human Action”や”Choosing Among Projects of Action”で展開されていた議論を思い出した。つまり、反省において(過去の)行為は過去完了の様態で、決意において(将来の)行為は未来完了手の様態で素描されるということ。つい「素描」というメルロ=ポンティ臭い用語を使ってしまったが、よりシュッツ的な言葉遣いでは空想ということになるだろう。また、”On Multiple Realities”で論じられた「多元的現実」のひとつとしての「空想」。意図的な行為が存立するための不可欠の契機としての「空想」。要するに、「意図」というのは未来完了的なものとして現れる空想の中以外には存在しない。「自由意志」か「物理的因果関係」かという問題はシュッツにおいては動機論として議論されるのだが、それには深入りせずに、取り敢えずシュッツからも話を脱線させる。「完了」というのは時制ではなくアスペクト。今「未来完了」とか「過去完了」と言ってしまったのだが、そのようなものとして現われてくるのは二次的なことというか、さらに「反省」を積み重ねた結果でしかないのでは? 何が言いたいのかと言えば、それは端的には「完了」として現われてくるということ。或いは、既に中和化された、(時制的・ジェンダー的・数的な限定を受けないという意味での)不定法として現われてくるのではないか。さらに言うと、それは演技/行為(action)の前提となる。或いは、行為者(actor)の無自覚的な行為(action)を自覚的に演じ直すのが役者(actor)の演技(action)ということになる(Cf.山崎正和『演技する精神』)。
Collected Papers I. The Problem of Social Reality (Phaenomenologica)

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  • 作者:A. Schutz
  • 出版社/メーカー: Springer
  • 発売日: 2008/05/27
  • メディア: ペーパーバック
演技する精神 (中公文庫)

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