- 作者: 市田良彦
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2018/09/21
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (3件) を見る
市田良彦『ルイ・アルチュセール――行方不明者の哲学』から。
デカルトの「見る」をスピノザは「知る」と言い換えたが*1、アルチュセールはそれを「見る」に戻したうえで、「見ていることを見ている videre videor」の代わりに、「見ていること/ものを見ていない」を置く*2。スピノザ的に言い換えれば、「知っていると知らない」、「知っていること/ものを知らない」だ。それが反省の「最初 prius」にある。デカルトとスピノザは「見る/知る」とその反照のどちらに真実性があるのかを争った。しかしアルチュセールは「見る」と「見ない」、「知る」と「知らない」を同じにするreflexion(折り重ね=反照)を「最初」に置く。それが真実性の代わりに、反省のたびごとに後続の概念に受け渡されていく。そのことをスピノザの方法とそれが含意する認識論的並行は保証する。
だからアルチュセールは、スピノザが間違っているとは言っていないのである。「真なる観念」のもとにも反省=反照はある、と彼は言う。しかしそれがあるからといって、後続の反省プロセスにおいて生起することはなにも変わっていない。偽を真に変えたのであればなにかが変わっているはずであるのに。最初にあるものは、スピノザの言うとおりそのまま維持=反復されていくだけだ。アルチュセールはあくまでスピノザを解釈しているにすぎない。(pp.114-115)