日本鬼城

国分瑠衣子「鬼怒川温泉に10年以上残り続ける「廃墟ホテル」、解体は「1棟2億円超」で身動き取れず」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190908-00000830-zeiricom-bus_all


「弁護士」ならぬ『税理士ドットコム』の記事を読むのは多分初めて。


8月上旬、東武鉄道鬼怒川温泉駅前は、日光さる軍団のショーに歓声を上げる子供たちや、足湯でくつろぐ人など多くの観光客でにぎわっていました。駅前のレストランは順番待ちの行列ができています。

しかし一歩、温泉街に入ると、シャッターを下ろしたままの飲食店や、空き家が目に入るようになります。交通量の多い国道121号沿いを歩くと、はがれかけた看板がかかったままの高層ホテルが現れました。「鬼怒川観光ホテル東館」です。黄色い規制線がはられ、営業していないことが分かります。シャッターには落書きが残されていました。

さらに国道沿いを歩き続けると同じく廃業した「鬼怒川第一ホテル」「きぬ川館本店」が建ちます。鬼怒川第一ホテルの入り口には、温泉街のホテルでよく見掛ける「歓迎」の看板がかけられたままで、つい昨日まで営業していたかのような印象を受けます。

すぐ隣の「きぬ川館本店」は、1927年(昭和2年)創業で、「かっぱ風呂」の愛称で親しまれてきました。しかし1999年に30億円の負債を抱え、経営破綻しました。今も看板には、愛嬌のあるカッパの絵が描かれています。この三つのホテルは廃業してから10~20年がたっています。


鬼怒川温泉だけの宿泊客数のデータは過去3年ぐらいありませんが、鬼怒川と隣接する川治温泉と合わせた年間の宿泊客数は、ピークの1993年は約341万人でした。しかし、バブル崩壊で団体旅行が減り、減少傾向が続きました。さらに2003年に足利銀行が経営破綻し、主な融資先だったホテルや旅館の経営が悪化しました。

2011年の東日本大震災では、原発風評被害の影響で、宿泊客数は約148万人にまで落ち込みました。しかし、近年は外国人観光客が多く訪れるようになり、2018年は約180万人まで回復しました。

『税理士ドットコム』的な部分;

もう一つ、廃墟は、地方自治体が国から受ける普通交付税にも影響してしまうのです。当然ですが、廃墟になったホテルでも固定資産税は発生します。日光市は「個別の建物の評価額、納税の有無については、お答えできない」との立場ですが、鬼怒川温泉の廃墟ホテル群は、どう考えても固定資産税が納められているとは考えにくいケースです。

国から自治体に配られる、普通交付税は、自治体の行政サービスに必要な額(基準財政需要額)から、固定資産税や自動車税といった自治体の税収(基準財政収入額)を引いて、足りない額に応じて配分されます。日光市によると、基準財政収入額を決める時は、固定資産税が納められていない場合でも「税収がある」とみなされてしまいます。つまり、所有者から固定資産税が納められていない場合は、市の税収が減るだけではなく、交付税の額にまで影響してしまうのです。

(大規模ホテルを中心とした)「鬼怒川温泉」の衰退というのは、要するにバブル経済以前から進行していた日本人の旅行の仕方の変化に適応できなかったということだろう。団体旅行から個人旅行(或いは小グループ)へ。また、バブル崩壊以降、日本の企業文化が企業のゲゼルシャフト的、コミュニティ的側面を切り縮める仕方で変容し、それとともに社員旅行という制度も衰退してしまった*1。その帰結が「廃墟」ということになる。
「鬼怒川」という呼称はその源である「鬼怒沼」に因んでいるが、この川が「鬼怒川」と呼ばれるようになったのはそう古いことではないらしい*2。ただ、この漢字表記から、どうしても中国四川省(現在は重慶市)の、もう既に三峡ダムの底に沈んでいる鬼城を想起してしまう。なお、「鬼怒沼*3が何故そのように呼ばれ・書かれるのかというのはわからない。
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musinone*4「日本有数の温泉地「鬼怒川」の廃墟っぷりがヤバい」https://matome.naver.jp/odai/2141546342680325301