「ハジチ」は知らなかった

那覇里子「沖縄女性の入れ墨「ハジチ」禁止令から今年で120年 法令で「憧れ」が「恥」に変わった歴史」https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/462429


ハジチ」というのは私の知識の外だった。


ハジチは、琉球王国の時代から沖縄にあった。ハジチを入れることは、女性として当たり前で、厄払い、婚姻、内地に連れて行かれるのを防ぐなどの意味があった。結婚を前提として突いたハジチには、痛さを我慢するように、姑付き合いも辛抱できるようにとの意味も込められていた。

 ハジチを入れた女性たちの調査をしてきた都留文科大学山本芳美教授は「『あんなきれいな手でご飯をつくっていたら、さぞおいしかろう』と男性たちがハジチのある女性の手に憧れも持っていました。女性たちは誰が一番美しい仕上がりか勝負もしていました。女性たちもあこがれていたようです」。


しかし、日本政府は1899年(明治32年)、入れ墨を禁止する「文身禁止令」を出した。山本教授によると、ちょんまげやお歯黒なども禁止された日本の「文明開化」政策の一環だったという。「明治政府は、入れ墨が欧米の人の目に触れることを気にして、庶民の行動を規制しようとしていたことが背景にあると思います」と指摘する。

この禁止令を機に、ハジチはあこがれから排除の対象に変わる。山本教授によれば、違反者は罰せられ、学校でハジチをして登校すれば、教師にしかられ、塩酸で焼くようにしたこともあったという。ハジチを理由に離婚されるケースも出てきていた。
 
 「インタビューでも、『前はすごくきれいな風に見えたけど、今はものすごくきたないね』という言葉がありました。制度によって、価値観がガラリと変わってしまいました」

 ハジチはタブー視され、恥の文化になり、差別を受けることもあった。ハジチを入れた女性はカメラに収まる時、手を隠すため、正面から写ることを避けたという。


山本教授は、海外のタトゥーの研究者たちが日本の入れ墨について話す時、アイヌの入れ墨と東京の彫り物の話に集中していることを危惧している。
 「アイヌや東京は、英語の論文で触れられていたりするんですが、沖縄は全くない。でも、ハジチほど、調査がされているものもないんです。調査の蓄積や厚みが違う。1980年代、ハジチを入れたおばあさんたちが亡くなろうとしてしたころ、行政が細かく記録を残しているんです。1982年の報告書だけでも読谷村は772人も調査していて、ほかの教育委員会でも調査がされています。世界最大級の規模だと考えられます」
さて、これは琉球王国以前の古代にまで遡れるのだろうか。記事の中で台湾の例が言及されているけれど、古代中国(春秋時代)においては、文身は呉越の俗であると認識されていた(Eg. 『荘子』「逍遥遊」)。東シナ海文化の一環? 
荘子 第一冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)

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ところで、「痛さを我慢するように、姑付き合いも辛抱できるように」という道徳的な意味づけは後世のものなんじゃないかとも思った。日本(ヤマト)の「お歯黒」*1もそうなのだけど、男/女、大人/子ども、未婚者/既婚者、生者/死者といった社会的アイデンティティを、身体加工としてメンバーの身体に刻印する文化というのは少なくないとは思う。悪名高い女子割礼(クリトリス切除)*2も含めて。