
- 作者: 上野修
- 出版社/メーカー: 講談社
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上野修*1「スピノザから見える不思議な光景」『本』(講談社)346、pp.22-24、2005
これは著書『スピノザの世界』が上梓された頃のエッセイ。
われわれはお前は人間じゃないと言われてしまうのを恐れて、そう言われぬうちによくわからないまま自分を「人間」だと言い張るようになっている。スピノザは、「われわれに似たもの」というイメージのそうした籠絡がわれわれの不安と焦燥の元であることをよく知っていた。誰もが自分をひとかどの「人間」と認めてもらおうとして互いに求めあい、かえって互いの邪魔になってねたみ、あざ笑いあう。彼の哲学はそんな籠絡からの静かなデタッチメントを教えてくれる。人間を、われわれを、もう一度はじめから事物として考え直してみよう。われわれの身体は物質宇宙の一部分である。ならば、われわれに思考があるのに、われわれがその部分である自然には思考がないとするほうが不自然なのである。もしわれわれの思考と事物が一致する真理というものが可能なら、われわれはそういう一致だけでできている絶対的な真理空間としての自然の一部分として存在していなければならない。
スピノザはそういう自然を「神」と呼び、神への帰還を語る。いや、帰還というのはよくなくて、むしろ、われわれの中で事物自身が事物自身について肯定したり否定したりするようになったとき、われわれの精神は「自動機械」となって、自分のいる場所がずっと「神」であったとわかる――そう言ったほうがよいかもしれない。カメラが引いていくと、帰還した地球の故郷が実は惑星ソラリスの変様部分であるのが判明するあのタルコフスキー監督の「惑星ソラリス」*2のラストシーンを思い出す。(p.24)
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いつの頃だったか、デイヴィッド・ボウイ主演の「地球に落ちてきた男」*3という映画を見た。ほとんど筋は忘れてしまったが、枯渇しつつある故郷の星を救うために一人の異星人が家族と離れて地球にやってくる。ところが地球文明に絡めとられ、そのまま帰れなくなってしまうというような話だったと思う。地球人たちのあいだに紛れてほとんど地球人の姿になって暮らしながら、でも目だけが違う異星人。デイヴィッド・ボウイの目の澄んだ切なさ。
私は自分をまじめなスピノザ研究者だと思う。なのにときどき頭の中のどこかで、この「地球に落ちてきた男」の姿にスピノザを重ね合わせていることがある。これはとても地球人とは思えんよ、などと言って妙な顔をされる。(p.22)
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