鉦や太鼓や

寺内浩平安時代の瀬戸内海賊――その実態と系譜――」『歴史書通信』(歴史書懇話会)235、pp.2-4、2018*1


蔵人頭藤原実資天元5年(982)2月7日に「海賊蜂起のため租税の輸送が困難になっている旨を奏聞した」。実資の日記『小右記』には、「海賊」の実際の襲撃の仕方が記述されている。


この記事で興味深いのは、海賊が太鼓をうち金鼓をたたく、としていることである。瀬戸内海賊といえば、大小さまざまな島の間を舟が進んでいる時、島影から静かに忍び寄って輸送船などを襲撃する、というイメージがあるが、実際には太鼓や金鼓をたたくという派手なパフォーマンスをしていたのである。相手の船に太鼓や金鼓の音でまず恐怖感を与え、その後に襲うという作戦である。ただ、事前に大音響を発すると、相手の船に逃げられてしまうのではないか、とも思われるが、海賊船の船足の方がよりまさっていたのであろう。船足に自信があるからこそ、とりえた戦術といえよう。(p.2)
何故「蔵人頭」が「海賊」について「奏聞」し、日記に実際の「海賊」の記述を残しているのか。件の「海賊」を「追討」したのは伊予守源遠古であったが、彼は実資の「妻の兄弟」、つまり「義理の兄弟」であった(p.3)。
なお、これは藤原純友の反乱の約40年後の出来事であった。