佐々木俊尚*1「「あめぞうリンク」は日本のインターネット文化の底流だ」http://bunshun.jp/articles/-/8616
「インターネット老人会」*2という特集の一環。
ただ、このテクストには失望。「もはや「あめぞうリンク」は、ネットの古い裏歴史ぐらいでしかない」と断じつつ、「あめぞう」については、
としか書かれていない。タイトルを信じれば、「あめぞう」の歴史的意義を詳細に論じているんだろうと思ってしまうじゃないですか。まあ、佐々木さんの苦難に免じて、許してやろうか。
ちょうどそのころ*3、2ちゃんねるの前身とも言える「あめぞうリンク」という掲示板が盛り上がっていた。それまでの使いづらかった掲示板を「スレッドフロート型」という斬新な機能で刷新し、ユーザーが殺到していた。「あめぞうリンク」はだんだんと荒らしに対応しきれなくなり、サーバの負担増もあって、「ひろゆき」こと西村博之が開設した2ちゃんねるは、その代替として大きく発展していくことになる。
再びその世界に戻ってきたのは、まる10年を経た1998年になってからだ。その年の夏、自民党本部の会議場で小渕恵三が新総裁に選出され、「小渕総裁、万歳!」と党員たちの声が轟いていた時、壇上の脇で立って取材していた私にピーンという嫌な鋭い音がして、突然右耳が聞こえなくなった。病院で聴神経腫瘍と診断され、開頭手術をして腫瘍を切除し、右耳の聴力を失い、顔の右半分も麻痺して動かなくなってまともに食事もできなくなり、会社を3ヶ月休んだ。顔の麻痺はしばらくして元に戻ったけれども、激務はとうてい無理だと判断されて、社会部の中でも比較的楽な職場とされていた「東京都内版担当」に異動した。街の取材をしながら、空いた時間を使って、当時盛り上がってきていたインターネットの世界にも浸るようになる。