電車の中では吸っていなかった

中川淳一郎*1「電車内でタバコが吸えた時代」http://tablo.jp/serialization/nakagawa/news002681.html


「昭和」時代、駅のプラットフォームで煙草が吸い放題だったというのは事実。フォームが禁煙になったのは平成になってから。最初は喫煙コーナーに限定され、21世紀に入る頃には終日・全面禁煙に移行したんじゃないか。昭和時代の線路には吸い殻が鳥の糞のように積もっていた。
しかし、「電車内」の喫煙については誤解を招く記事だと思う。「昭和」を知っていると言っても、直接知っているのは昭和40年代以降なので、戦前はこうだったよとか30年代はこうだったよと言われれば、手を上げて、貴重なご教示ありがとうございましたというしかない。少なくとも、東京とその周辺においては、その時代から電車の中は禁煙で、偶に車内で吸っている奴がいたとしても、それは周囲が黙認しているだけだったと思う。本文に言われているような、「ベンチ型シート」か「ボックスシート」かというのも関係ない。煙草を吸えるかどうかはエリアによって決まっていた。国電区間の内か外かということだと思う。いちばん印象に残っているのは高崎線籠原籠原を過ぎると煙草が吸えるようになるので、上野発の電車(高崎行或いは前橋行)の乗客たちは、電車が籠原のフォームに滑り込むと、待ち構えていたかのように、やれやれやっと吸えるぜ! と一斉に煙草に火を点けるので、いつも車内ニコチン濃度が急上昇したのだった。私鉄も原則として車内禁煙だったと思う。ただ、小田急ロマンスカー東武特急や京成のスカイライナーについてはわからない。
純化していうと、都会の電車では煙草は吸えなかったが、田舎の電車では吸えたということになる。また、禁煙の可/不可というのはトイレ使用の可/不可とも重なっていたような気がするけれど、どうだろう。「昭和」の時代、列車のトイレというのは垂れ流し式で、便器の底には枕木が見えていたのだった。勿論、人口の多い都会の路線で、汚物を線路に垂れ流すということが許される筈もなく、トイレは使用禁止になった。汚物をタンクに溜めておくという仕組みが最初に採用されたのは新幹線のトイレで、1970年に総武快速線が開通し、快速電車のトイレにタンク式が採用されたが、その時は在来線初ということでけっこう騒がれた筈だった。