ミススペリングから

フーリガンの社会学 (文庫クセジュ)

フーリガンの社会学 (文庫クセジュ)

ドミニック・ボダン『フーリガン社会学』(陣野俊史、相田淑子訳)*1
フーリガン現象」の起源を巡って。


一九六〇年代のイギリスでは、サッカーの試合に合わせて、新しい形態の暴力が出現した。もともと十九世紀以来、試合には乱闘や対立がつきものだった。だがスタジアムのなかやその近くで起こる新しい形の暴力行為は、あまり自然発生的ではない。ゲームの進行具合や結果、あるいはピッチ内の出来事(審判、ファール、線審や選手の行為)などに、必ずしもその暴力行為の原因があるわけでもない。また、試合そのものが刺激するスポーツのライヴァル意識に根ざしているわけでもない。ときには、稀なくらいの暴力行為にまで発展し、個人個人を対立させることもある。抑圧―攻撃の図式に沿って結果や出来事を考えてみると、彼らの暴力は、もはや偶然の産物でも自然発生でもなく、組織化され計画されており、非常に多くの場合、集団による暴力である。
(略)或るジャーナリストは、この出来事をリポートするために適切な言葉を用いたいと考え、暴力的な観衆を「フーリハン」と名づけた。この言葉は、アイルランド起源の言葉で、反社会的行為、反乱時のきわめて暴力的な態度から、ヴィクトリア女王の治世下で首を切られた一家の名前である。しかし、いついかなる理由で、「フーリハン」が「フーリガン」に移行したのかはわからない。可能性が高い理由は、印刷上の誤植である。英語系のキーボードも「アゼルティ」配列のフランス語キーボードも、ともに「h」と「g」は隣り合っている。いずれにしても、それまでと違った行動様式が生まれたことを示すために、この言葉は生まれ、やがてヨーロッパ全土で使われることになる。ただ、注意の必要があるのは、イギリス人は、この言葉を使用せず、むしろ「ザックス」という言葉を好んで用いていることだ。この言葉は、日常会話で「非行少年」と同義語である。また、侮蔑的な意味を含み、カリを崇拝するインドの偏執的セクトの名前でもあるので、この言葉を選ぶことは、それ自体が無益であるとか、意味を緩和しているということにはならない。この呼称を選ぶことそのものが、フーリガンという烙印を押し、はぐれ者として社会から弾きだし、そのうえで彼らを犯罪と結びついた「異常者」と見なすことにほかならない。(後略)(pp.17-18)
「ザックス」という英単語は??だった。ただ、ヒンドゥー教の女神カーリー*2の熱狂的信者集団に由来するthugという英単語はある*3。でも、thugはやくざもの(ちんぴら)で「非行少年」というような可愛いものではない。たしかに「はぐれ者として社会から弾きだし、そのうえで彼らを犯罪と結びついた「異常者」と見なすこと」だ。また、thugsは片仮名で書くとしたら、「ザックス」ではなくて、サグズだろう。さて?

ところで、Wikipediaはhooliganismという言葉を、かなり一般的というか広い意味で使用しているようだ;


https://en.wikipedia.org/wiki/Hooliganism
https://en.wikipedia.org/wiki/Football_hooliganism

*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180626/1530034510

*2:See eg. 柴田徹之「殺戮の女神カーリー」http://chaichai.campur.com/indozatugaku/black.html 「カーリー Kali」http://tenjikukitan.com/zukan/kali.html

*3:See eg. ThorFire Enterprises “Thuggees (Thugs)” http://www.historybits.com/thugs-thuggees.htm Christopher S. Putnam “The Thugs of India” https://www.damninteresting.com/the-thugs-of-india/ “Thuggee” https://en.wikipedia.org/wiki/Thuggee