何が彼をさうさせたのか

昨日『二度目の人生を異世界で』騒動を取り上げた際*1、まだ事情を呑み込めていなかったせいもあって、細部においては頓珍漢なことを言ってしまったのではないかと気付いた。
「TVアニメ化されるというラノベ二度目の人生を異世界で』の設定がひどすぎて目眩がする」というエントリー*2に、この『二度目の人生を異世界で』の主人公「功刀蓮弥」の「設定」*3 というのが引用されていたので、孫引きしてしまおう;


(前略)
界渡り前は、功刀一刀流第14代当主。
幼少より剣道を嗜み、13歳にして剣術へ移行し、その才能を開花させる。
15歳より、武者修行と称し中国大陸へ渡り黒社会で活動。
刀一本で大人数へ切り込み、生還する様から「剣鬼」の異名で呼ばれる。
黒社会活動中の殺害人数は5年間で912名に及ぶ。
その後、世界大戦に従軍。
4年間の従軍期間中の殺害数は3712名、全て斬殺。
「ブレードオーガ」のコードネームで畏怖される。
終戦後は功刀流の家督を継ぎ、後進の育成や、剣術の普及に尽力。
各地で公演や剣術の実演を行い、功刀一刀流を広く普及させ、国内外に49の道場を持つに至る。
晩年は刀匠として大成し、「華蓮」の銘を持ち、人間国宝に指定。
美食家としても知られ、自身も高い料理の腕を持つ。
94歳と127日目にして、老衰にて死去。
生涯殺害数、5730名。
「設定」はこれだけなの? 「生涯殺害数、5730名」、しかもすべて刀による「斬殺」。これは途轍もないことだ。フィクションであるといえども、何らかの正当化がなければ読者は納得しないだろう。納得してしまう人がいたら、その人間性を大いに疑うべきであろう。例えば、殺生を重ねることによってしか(重ねても)癒されることのないトラウマを抱えているとか。或いは、洗脳によって自らを殺人機械へと改造したとか。或いは、(〈村正〉のような)呪われた妖刀を持っていて、その妖刀が殺人を唆し続けるとか。
10年前に秋葉原虐殺事件を起こした加藤智大について、内田樹氏は、

人を殴ろうとしたことのある人なら、他人の顔を殴るということがどれくらいの生理的抵抗を克服する必要があるかを知っているはずである。

そこに生身の身体があり、その身体をはぐくんできた歳月があり、親があり、子があり、友人知人たちがあり、彼自身の年来の喜び悲しみがそこに蓄積しているということを「感じて」しまうと、どれほどはげしい怒りにとらわれていても、人を殴ることはできなくなる。

人間の身体の厚みや奥行きや手触りや温度を「感じて」しまうと、人間は他人の身体を毀損することができない。

私たちにはそういう制御装置が生物学的にビルトインされている。

他人の人体を破壊できるのは、それが物質的な持ち重りのしない、「記号」に見えるときだけである。

だから、人間は他者の身体を破壊しようとするとき、必ずそれを「記号化」する。

「異教徒」であれ、「反革命」であれ、「鬼畜」であれ、「テロリスト」であれ、それはすべての人間の個別性と唯一無二性を、その厚みと奥行きとを一瞬のうちにゼロ化するラベルである。

そこにあるのが具体的な長い時間をかけて造り上げられた「人間の身体」だと思っていたら、人間の身体を短時間に、「効率的に」破壊することはできない。

今回の犯人の目にもおそらく人間は「記号」に見えていたのだろう思う。

「無差別」とはそういうことである。

ひとりひとりの人間の個別性には「何の意味もない」ということを前件にしないと、「無差別」ということは成り立たない。
(「記号的な殺人と喪の儀礼について」http://blog.tatsuru.com/2008/06/11_1020.php

と述べている。それに触発されて、私は、

(前略)「そこに生身の身体があり、その身体をはぐくんできた歳月があり、親があり、子があり、友人知人たちがあり、彼自身の年来の喜び悲しみがそこに蓄積しているということを「感じて」しまうと、どれほどはげしい怒りにとらわれていても、人を殴ることはできなくなる」ということよりも手前のレヴェル。それは物理的な抵抗だろう。誰かを殴れば私も手が痛い。また、ナイフで刺すにしても、ナイフが他者の皮膚を、また脂肪を刺し貫こうとするとき、やはり物理的抵抗を受けないことはない。さらに、他者の悲鳴や呻き。また、血、返り血。これらから、それが「記号」ではなく「生身の身体」であることを了解するのに大した想像力は要らないだろう。殺戮の技術は、殺す者の衝撃というか〈心の痛み〉に配慮して、殺される者の「生身の身体」を隠蔽する方向で進歩してきたともいえる。また、直接殺される者の「生身の身体」に対峙することに耐えられないから、多くの場合、殺したい者は必殺仕掛人とか刑務官(死刑執行人)等々の〈プロ〉に委ねる(押し付ける)ことになる。加藤智大は敢えて(?)犠牲者の悲鳴とか返り血を引き受けた。勿論、日本では飛び道具を合法的に入手することは難しいということはあるかもしれないが、何が加藤智大に犠牲者の悲鳴とか返り血を引き受けさせたのか。それはわからない。ただ、「記号化」ということでは答えにまだなっていないということはたしかだが。
と書いた*4。「功刀蓮弥」は如何にして「生理的抵抗」「物理的抵抗」を克服したのか。
さて、


Toratarou*5「原作者の差別発言で主演声優全員一挙降板、「二度目の人生を異世界で」アニメ化中止で小説版は出荷停止に」https://buzzap.jp/news/20180606-nidome-anime-cast-off/


上記の設定について、


第二次世界大戦で剣を使って殺戮……となると「百人斬り」が思い浮かぶのはもちろんですが、斬り殺した「3712人」という数字も、南京事件が起きたとされる「1937年12月」を想起させるもの。

さらに94歳という没年も、南京事件に関与していたとされつつも皇族として戦犯指定を免れ、天寿を全うした上海派遣軍司令官・朝香宮鳩彦王(満93歳没)とほぼ同じです。

という解釈を提示している。その是非はともかくとして、このような読みも可能になるという例示として引用しておく。
また、今回「降板」した声優たちが〈在日認定〉されるという差別の上塗りが起きているらしい*6