アジールとしての屋上、など

フミコフミオ「はじめてブラのホックを外した夏を覚えているかい?」http://delete-all.hatenablog.com/entry/2018/05/09/190000


何だか、(いい意味での)MeTooというか、ブラジャーに纏わる思い出が誘発されてしまったようだね*1。初めて他人のブラジャーの内側へと手が越境したとき、それはスポーツ・ブラだったとか、私にもそれなりに思い出はあるのだけど、ブラジャーの話はもうこれ以上しない。
民俗学的に重要なのは高校の屋上が「ヘブン」と呼ばれていたことだろう。アジールとしての屋上。RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」*2で、主人公(語り手)が授業をさぼって煙草を吸う場所。また、山本直樹の「BLUE」で主人公たちがセックスに耽る〈やり部屋〉も校舎の屋上にあった。1990年代初頭というか平成初期まではまだこういうアジール的な空間はまだあったわけだ。現在、平成末期には生き残っているのだろうか。その後の思想状況はアジール的な空間にやさしいものではなかった。また、リアルな三次元のアジールがないから、フロンティアとしてのネットに奔ったのでは? まあ、公共財産の不法な占有! と叫ぶ人はあまりいないだろうけど、事故が起こったらどうするんだ? 非行やいじめの温床! 等々と、アジール的空間を潰す理由を探したり・作ったりするのは容易い。

ブルー

ブルー

これは神奈川県の高校の話だということだけど、神奈川県の田舎といえば、石川淳一の映画『ミックス。*3。田舎の電車のシーンがどうも神奈川県ぽくないなと思った。何というか、空間がフラットにだだっ広すぎるというか。最後に、群馬県で撮影されたことがわかり、納得。