大澤真幸*1「暴力性の由来」『本』(講談社)497、pp.54-61、2017
『社会性の起源』という長期連載の一部(48回目)。
「ホセ・M・ゴメスらの系統樹分析に基づく」「種内暴力による死亡の割合(すべての死の中で種内暴力によって死んだ者の比率)」の研究*2が言及される(p.59ff.)。
なお、註にて、
この研究によると、哺乳類全体では、種内暴力による死は0・3%である。三百件の死の中の一つの割合で、同種の他個体によって殺されたケースが入っていることになる。霊長類の共通祖先のレベルで見たときには、この数字、つまり種内暴力死の比率は、かなり増加する。推定2・3%だ。どうして、霊長類では種内暴力死がこれほど増加すのか。霊長類には、群れをつくって暮らす種が多く、群れと群れとが縄張りをめぐって対立するからであると考えられる。では、類人猿では――厳密に言えば類人猿とサピエンスとの共通祖先では――、種内暴力による死は、さらに増えるのではないか。チンパンジーなどのケースを考えると、そのように予想したくなる。が、実際の推定結果はこの予想に反している。類人猿との共通祖先の種内暴力死は、1・8%である。類人猿は霊長類全般とだいたい同じ比率で、同種の仲間による殺害がある。標準的な類人猿は、霊長類全般と比べて、暴力的でもなければ、平和的でもない。
次はサピエンスだ。今度こそかなり高い率になるのではあるまいか。ゴメスたちは、五万年前のサピエンスの値を求めている。もちろん、このとき、サピエンスは狩猟採集の生活を送っている。種内暴力による死、つまりは殺人によって死んだ者の比率は、2・0%と、類人猿のレベルからほとんど増えていない。サピエンスは、霊長類、類人猿としては標準的なレベルの攻撃性しかもたない。
(略)新石器時代に入ってからのおよそ三千年前に、同種暴力死の率が、一挙に、15〜30%のレベルに上昇するのだ。死の三割近くが、他の人間による殺害だということになる。この推定にはかなりの不確実性が残ってはいるのだが、五万年前と比べて、殺人で死ぬ者の率が急に十倍前後に増えていることは間違いない。どうして、殺人の率が激増したのか。遺伝子の変化によっては説明できない。五万年前のサピエンスと三千年前のサピエンスは、遺伝的な構成は変わらない。原因は、社会構造に求めなければならない。
五万年前のサピエンスは(略)数家族から成る二十人前後のバンド(野営集団)に分かれ、定住することなく遊動していたと考えられる。リーダー的な人物はいたに違いないが、全体として、きわめて平等性の高い社会だったろう。それに対して、三千年前は、農耕・牧畜といった食料生産がすでに始めっている。サピエンスは定住しており、ときに数千人規模の都市や共同体を作っていた。それは、専門家や支配階級をもつ階層社会で、頂点には、首長や王がいたはずだ。この頃、突然、人によって殺される者の比率が高くなったのは、この数千人規模の首長制社会の間でしばしば戦争があったからである。
(略)二十人程度のバンド、五十人程度の平等な氏族共同体を作って人が生きていたときにも、もちろん、紛争は頻繁に起きたに違いないが、この程度の規模の社会では、紛争の大半は個人的なものだったと推測することができる。しかし、数千人程度の首長制社会同士が戦うときには、事情はまったく違う。この共同体の中では、それぞれのメンバーは、他のメンバーの大半を、それほどよくは知らないはずだ。人間のダンバー数は150だったことを思い起こすとよい。ということは、首長制社会の間の戦争において、戦士は、直接の強い関係をもたない他者のために戦っていることになる。この戦争で多くの者が命を落とすということは、別の角度から見れば、戦争に従軍する者は、自分が死ぬかもしれない、殺されるかもしれないという覚悟をもっていたということでもある。バンド社会での争いでは、死の覚悟までもって戦う者は少ない。しかし、首長制社会の戦争では、戦士は、自分が死ぬことになる可能性を引き受けて戦っている。
普通、人は、自分自身の利益のためには、かなりの犠牲を厭わないが、他者のためには、それほどのことはできないとされている。しかし、実際にはそうではない。人間の個体が最高度の自己犠牲を引き受けることができるのは、自分の行動が、他者のためになる、他者の利益に貢献している、と意味づけることができたときである。そのことの一つの帰結、悲惨とも言える逆説的な帰結の一つが、一定の規模の集権的な共同体が成立した段階での、戦死者の急増だったのである。首長制社会における殺人率の上昇は、条件さえ整えば、ごく平均的な人間でも、自分の死にもつながりうる自己犠牲を引き受けることがある、ということを示している。新石器時代のサピエンスの異常なレベルの攻撃性、極端に高い暴力性は、逆に、サピエンスの高水準の向社会性に由来している。(後略)(pp.59-61)
とも言う。勿論、社会の進歩ということは重要であろう。ただ、社会の「暴力性」という場合、以前宮崎学親分が『殺人率』という本で述べていたように、「殺人」と「自殺」(自己‐殺人)を込みにして考えることは有用なのではないかと思う*3。
ちなみに、現代社会(先進国)での殺人による死の比率は、0・01%未満(一万件に一つよりも低い)である。狩猟採集民だたサピエンスと比べると、およそ二百倍低い水準に抑えられていることになる。(註14、p.61)
- 作者: 宮崎学,大谷昭宏
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*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050707 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060121/1137869912 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070705/1183661994 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071027/1193510497 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080731/1217432394 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090607/1244348445 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090608/1244479972 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090729/1248840543 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090914/1252893716 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090920/1253472136 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100416/1271390292 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130704/1372890636 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131217/1387215045
*2:J. M. Gomez et.al. “The phylogenetic roots of human lethal violence” Nature 538, pp.233-237, 2016
*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091028/1256753819 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130220/1361380789