NHKの報道;
小西洋之という政治家については何も知らないのだ。
「お前は国民の敵」自衛官から罵声浴びた 民進 小西参院議員
4月17日 17時06分
民進党の小西洋之参議院議員は参議院外交防衛委員会で、16日夜、国会近くの路上で、防衛省の統合幕僚監部に所属する現職の自衛官から、「お前は国民の敵だ」などと罵声を浴びたことを明らかにしました。
この中で民進党の小西洋之参議院議員は、16日午後9時ごろ、東京・永田町の参議院議員会館の前の路上で、現職の自衛官と名乗る男性から「お前は国民の敵だ」などと繰り返し罵声を浴びたことを明らかにしました。
小西氏が「現職の自衛隊員であれば発言は法令に反するのではないか」と諭すなどしたところ、男性は最終的に発言を撤回したということです。
小西氏は17日朝、警察から、男性が統合幕僚監部の現職の自衛官だと知らされたということで「自衛隊員としてあってはならない行為で、法令に照らしてしかるべき対処を行うべきだ」とただしました。
これに対し小野寺防衛大臣は、すでに報告を受けたとしたうえで「仮にそういうことがあれば自衛隊員の服務の問題になるので、事実関係を確認し、適正に対応したい」と述べました。
発言は統合幕僚監部の3等空佐(30代)
防衛省によりますと、民進党の小西参議院議員に不適切な発言をしたのは東京・市ヶ谷にある統合幕僚監部の指揮通信システム部に所属する30代の3等空佐です。職場から帰宅したあとランニングに出かけた際、16日午後9時ごろ、参議院議員会館の近くでたまたま小西議員と会って発言したということです。
自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長は17日午後、小西議員を訪ねて謝罪し、報道陣に対して「国民の代表である国会議員に対し、幹部自衛官が暴言ともとられる発言をしたことは大変不適切で、極めて遺憾だ。事実関係を調べたうえで、必要があれば処分を行う」と話しました。
小西議員「何度も言われた」
自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長は17日午後、参議院議員会館を訪れ、小西氏に陳謝しました。これに対し小西氏は、厳正な処分やシビリアンコントロール・文民統制を徹底するための再教育などを求めました。
このあと小西氏は記者団に対し「身の毛がよだつような話だ。現職の自衛隊幹部が国会議員に対し『国民の敵だ』と何度も言い放った暴挙は民主主義において許してはならない。小野寺防衛大臣は即刻辞任すべきだ」と述べました。
防衛相「思うことはあると思うが」
小野寺防衛大臣は記者団に対し「不快な思いをさせたのであれば申し訳ない。国民の一人として当然思うことはあると思うが、それを口にするかどうかは自分が置かれた立場をおもんぱかって対応すべきだ」と述べました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180417/k10011407101000.html
『毎日新聞』の記事によると、
同じ毎日の記事によると、
(前略)小西氏と防衛省によると、3佐は16日午後9時前、帰宅後のランニング中に小西氏と出会った。3佐は「小西だな」と言った後、現職自衛官だと自分から明かして繰り返し罵倒。警備中の複数の警察官が集まった後も「気持ちが悪い」などとののしり続けた。小西氏が「服務規定に反し、処分の対象になる」と撤回を求めたが撤回しないため、同省の人事担当に電話するなどした。3佐は最終的に態度を改め、発言を撤回したという。
(前谷宏、立野将弘「議員罵倒 「国民の敵」発言は3佐 防衛相「適正に対処」」https://mainichi.jp/articles/20180418/k00/00m/010/095000c )*1
自衛隊の将校が路上で突然国会議員を罵倒するという異常事態に際して、歴史的記憶の倉庫から急遽引き上げられたのが佐藤賢了。
小西氏は国会で自衛隊イラク日報問題などを取り上げ、小野寺氏の管理責任などを追及している。玉木氏*2は17日の記者会見で、1938年に佐藤賢了陸軍中佐が当時の帝国議会で議員のヤジに「黙れ」と発言したことに触れ、「由々しき問題だ。80年たって非常に嫌な雰囲気が漂ってきた気がする」と指摘。社民党の又市征治党首も会見で「批判的なことを言ったら『非国民』というのと同じだ」と強調した。
籏智広太*3「軍人が議員に罵声を浴びせた「黙れ事件」 80年前の結末を知っていますか?」https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/damare
曰く、
それは、板野友造議員(立憲政友会)の質問に対する佐藤賢了中佐の答弁の中で起こった。とはいっても、板野議員に対して発せられたのではない。佐藤中佐の答弁は30分にも及び、苛立ってざわざわし出した議場からは野次も目立つようになった。それに対しての「黙れ!」。直接の対象は宮脇長吉という議員だった。因みに、彼は紀行作家の宮脇俊三*4の父親。
「黙れ事件」は、日本が徐々に戦時体制に入りつつある1938(昭和13)年3月3日の帝国議会で起きた。当時の佐藤賢了・陸軍航空中佐が衆議院の「国家総動員法案委員会」の審議中、議員に対して「黙れ!」と怒鳴ったのだ。
これに、国会は騒然。中佐は発言を撤回したが収まらず、陸軍省の大臣が釈明に追い込まれることになった。
戦前と言えど、これは大きな批判を浴び、新聞各紙も報じている。
たとえば、翌日の東京朝日新聞は「総動員法案に大波乱 佐藤中佐”黙れ”の一言 委員会沸騰裏に散会」と2面で大きく伝えた。
佐藤中佐はこの後、昇格している;
戦後、A級戦犯となった佐藤氏は文藝春秋(1955年8月号)に「総動員法問答事件」を寄稿。「黙れ」は、議員だった知り合いに向けたものだった、と弁明している。
「宮脇長吉議員がにわかに立って『委員長、この者にどこまで答弁を許すのですか』と食ってかかった」
「委員長が私に続けろと指示したので、私は説明を続けたところ、宮脇議員がまたガナり立てて私の説明を妨害したので、堪忍袋の緒を切って『黙れッ、長吉』とノドまで出てきたのだが、場所柄を考えて『黙れッ』だけいって、あとの『長吉』を飲み込んだ」
この宮脇議員は元陸軍大佐。退役後に政治家となり、立憲政友会に所属していた。
或るターニング・ポイントとして;
先出の通り、発言については当時の杉山元・陸軍大臣が翌日にこう言及している。「部下の言葉遣いに穏当を欠くものがありましたそうでありますが、この点は誠に遺憾に存じております。なお、今後において注意いたします」
陸軍では、年次と階級の上下は大きな意味を持っていた。軍の先輩で、しかも現役時代の階級が上だった国会議員に対する発言だったにもかかわらず、それ以上問題視されることはなかった。
また、佐藤中佐が処分を受けることもなかった。この事件の4ヶ月後には、大佐に昇進。宣伝広報活動や新聞検閲などを担う陸軍省新聞班長に就任している。
一部始終を目撃した国民新聞の木道茂久記者は戦後、自身の手記に「偶発的な失言ではない」と記しているという(読売新聞、1971年6月11日)。「あれは決して偶発的な失言などではなく、傲慢無礼な佐藤の一言は、陸軍の政治上の態度を端的に表現したものであり、委員会の空気は当時における軍部ファシズムと、政党内部に残存した自由主義との対立相克の集中的表現であった」
一方で佐藤氏は、そうした見方をこう一蹴している。
「この事件を世間では大きく取り扱いすぎる感があった。まるで陸軍が議会を圧迫し、その勢力を衰退させたかのようにいったのである。実にばかげたことである」
果たして本当に、「ばかげたこと」だったのだろうか。
「黙れ事件」からひと月ほどして、国家総動員法は成立した。日本がその後、どんどんと戦時体制に入り込み、敗戦への道を突き進んだことは、言うまでもない。
*1:Cited in http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20180418/1524006379
*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170224/1487910099 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170226/1488077743 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170228/1488291005 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170303/1488508478 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170305/1488726602 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170306/1488817967 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170308/1488946981 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170309/1489024533 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170310/1489109908 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170406/1491451136 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170518/1495124746 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170602/1496371973 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170808/1502206282 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170828/1503891141 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170901/1504234324 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170915/1505482432 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171016/1508130214 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171029/1509242444 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171030/1509328817 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180216/1518745088 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180218/1518914252 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180312/1520820898 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180313/1520911677 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180314/1521040212 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180320/1521545409 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180322/1521735826 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180324/1521817988 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180327/1522079446 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180404/1522810591 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180408/1523167515
*4:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20141110/1415592616