「エンガチョ」(宮田登)

妖怪変化 (ちくま新書)

妖怪変化 (ちくま新書)

宮田登*1「現代都市の怪異――恐怖の増殖」(in 常光徹編『妖怪変化 民俗学の冒険3』*2、pp.108-119)からメモ。
「見えないケガレ」について。


ところで、エンガチョ*3 と呼ばれる伝統的な子どもの遊びがある。以前京馬伸子が報告していたが、子どもが犬のくそや猫の死体などを道でうっかり踏んだり、学校の便所の床に触れたりすると、エンガチョになる。仲間の子どもがそれに気づくと、「〇○チャンはエンガチョ」とはやし立てられる。そして子供たちは自分たちにエンガチョが感染しないように指でカギをつくり、「エンガチョしめた」と叫ぶ。
エンガチョとされた子どもは、だれかにそれをつけてしまえばエンガチョでなくなるので、指のカギをまだつくっていない子やカギをはなしている子をねらってパッと触る。そして「エンガチョつけた」と叫びエンガチョでないことを宣言するのである。

「エンガチョは触るとその人にキンがうつって、他の人に伝わる。キンには、オトコキン、オンナキン、ハゲキン(禿の先生がキンをもっている)、ゲボ(ものを吐いた)のときのキン、トイレキン(男で大便所に入って鍵をしめた→用便をしたのできたない)、絶交キン(友人と絶交したとき)などがある。みんながバリヤーをしているとエンガチョのキンがつけられない(下略)」という(『民俗』第一三四号)。
この説明をみると、『延喜式』触穢の条をほうふつとさせる。エンガチョと称されるケガレは空間を通して伝染していくという気持が今も昔もかわりなく指摘できる。キンは黴菌のことで、近代用語であるが、ケガレに対応する不浄であり、そのきたない内容は、犬や馬、牛のくそ、はなくそ、ゲロ、血などのほか、給食を食べているときにはねたおかず、どぶに落ちた子、学校で用便した子、机のまわりがごみだらけの子など、いずれも子どもの想像力が働き、ケガレの性格をよく表現している。しかし「見えないケガレ」を想定するその背後には、ある種の霊力の存在をよみとることができる。見えないケガレには特別の力が働いており、「見えないケガレ」を排除する行為の基本にはつねにそのことが意識されている。「見えないケガレ」とは、たとえば『リング』のテープにこめられたウィルスといえるのではないだろうか。そこには言い知れぬ恐怖の力がうごめいているのである。(pp.117-119)