色落ちて

少し前の『スポーツニッポン』の記事;


海老一染之助さん死去 兄の染太郎さんとのコンビで人気



 伝統演芸・太神楽(だいかぐら)*1の曲芸師・海老一染之助さん*2=本名・村井 正親(むらい まさちか)=が6日午前11時31分、肺炎のため、東京都杉並区の病院で死去した。83歳だった。京都出身。兄の染太郎さんとのコンビで人気だった。葬儀・告別式や喪主は未定。

 「海老一染之助・染太郎」は実の兄弟によるコンビ。「お染ブラザーズ」の愛称で「おめでとうございま〜す」と言いながら和傘の上で毬(まり)を回す芸が有名で、正月の風物詩のように親しまれていた。兄の染太郎さんは2002年に死去し、弟の染之助さんがピンで活動してきた。

 1945年、二代目海老一海老蔵に入門。46年、新宿末広亭で海老一勝太郎・小福の名で初舞台。49年、海老一染之助・染太郎に改名した。伝統的な古典芸を速いテンポと独特な話術で披露し、人気を得た。

 85年、第1回浅草芸能大賞奨励賞。88年からはフジテレビ「笑っていいとも!」にレギュラー出演。正月番組の顔として、お茶の間に親しまれた。89年には「おめでとうございます」でレコードデビューした。

[ 2017年12月6日 15:46 ]
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/12/06/kiji/20171206s00041000150000c.html

笑っていいとも!*3のレギュラーというのはもっと前のことだと思っていた。
さて、ハフポスト日本版編集部「海老一染之助さん死去 染之助・染太郎として活躍」*4から引用;

2008年1月15日の朝日新聞夕刊に掲載されたインタビューでは、次のように語っていた。

「倍、力を入れないとだめ。染太郎さんがマスなどを渡してくれてたのを、自分で跳びはねてって、パッと取った途端に芸をする。1人でやって受けた時のうれしさってないんですよ」

「体を大事にして、やれるところまでがんばって、『おめでとう』を配達したい。最期は、やっぱり『おめでとうございますー!』と言いたいね」