米国の裏側(メモ)

チャイナ・メン (新潮文庫)

チャイナ・メン (新潮文庫)

マクシーン・ホン・キングストン『チャイナ・メン』*1からメモ;


彼[父]はまた、誰一人として行かぬ場所へ行く能力を持っていて、そういう場所を彼自身のものにしてしまうのだった。わたしには彼の気配を嗅ぎ取ることができた。一九三九年の世界博覧会で買った銅の灰皿やパーカー51のような特別なものを持っていたのと同じやりかたで、特別な場所を所有していた。彼の戸棚や抽出しを探って、これは父という者の場所だな、父なる者がここにある、とわたしは思ったのだった。
そのような彼の場所の一つは、土間敷の穴蔵だった。家の下にあって、網戸に梟がばたんばたんとぶつかった。猫ほどの大きさの鼠が庭で日光浴をしていて、葉っぱの間に大きな塵玉が転がっていた。鼠は米や葡萄や豆などが乾してあるテーブルの上に駆け登っては、手でそれを食べ、余分に歯でくわえて、一匹また一匹とサーカスのようにテーブルから跳び降りるのだった。わたしの母はその彼らに向かって箒を振り下ろした。黄色の弧を描いて、藁が宙を切った。それは台所の穴の中に兎を飼っていた家だ。母が前掛けに入れて、畑から連れ帰ったのだ。リノリュームの上で音もなく跳ねるのを見たるたびに、わたしは名誉を与えられ、祝福を受けたと感じたものだ。
穴蔵の戸はどうして錠をかけたままにしておくのかととたずねると、媽媽は「井戸」があるからだと答えた。「あんたたちが井戸に落ちると困るからね」と彼女はいった。底なしだと。
ある日ぐるりと走ってみたら、穴蔵の戸が開いていた。爸爸の白いシャツの背が闇の中で動いていた。わたしはずっと彼のあとをつけ、その行動を探っていたところだったのである。穴蔵へ入り、箱の蔭に隠れた。彼は底なしの井戸にかぶせてあった蓋を取った。父にさえぎる間も与えず、わたしは飛び出し、それを見てしまった――輝き膨れる黒い水を満たした穴、生き生きとして、生き生きとして、瞳のように深く生き生きとして、爸爸が「どきなさい」と怒鳴った。「見せて、見せて」とわたしはいった。「気をつけるんだ」井戸のきわに、地面のへりに、世界の内側に通じる穴の縁に立つわたしに彼はいった。「これは何というものなの?」彼の口がその言葉を発するのを聞きたくて、わたしはたずねた。「井戸だ」彼がもう一度その言葉を発するのを、もう一度「井戸だ」といってくれるのを聞きたかった。母は古釘の錆を含む水をわたしの耳に注ぎ入れ、耳がよく聞こえるようにしてくれたのだから。
「井戸って何なの?」
「水が湧くんだ」と爸爸はいった。「井戸からは水を汲むものさ」
「飲めるの? 水はどこからくるの?」
「土の中からだ。少なくとも二十分は沸騰させなくちゃ飲めないよ。黴菌だ」
毒水か。
井戸はぷるぷるする黒い寒天のように見えた。銀の星が見えた。きらめいていた。あれは地球の黒くきらめく瞳だった。井戸は地球の反対側に通じているに違いない。もし落ちたら、中国に出るのだろう。長い長い落下のあと、足から先に地から姿を現わす、そっちの井戸から姿を現わす、すると、そういうわたしを見て中国人は笑うことだろう。これよりもう少し地味なやりかたで中国に到着したい場合は、頭から先に飛び込めばいい。地球の真中を進む長い時間に怖気づかぬようにするのが秘訣だろう。この旅は鉱山よりつらいものだろう。
父は樽の丸いそれを利用した蓋を引いて、ふたたび井戸にかぶせた。わたしはその板蓋の上に乗り真中に立って、わたしの足、わたしの足の下にある底なしの黒い井戸のことを考えた。もし蓋が滑ってずれたらどうする? 父の用事がすんだので、わたしたちは穴蔵を出た。父は扉に錠をかけた。(pp.387-389)
米国ではそのちょうど裏側は中国だと広く信じられているわけだ。〈チャイナ・シンドローム〉という言葉もそこら辺から来ている。さて、子どもの頃、日本の裏側は伯剌西爾だという言説が流布していたのだが、今でもそうなのだろうか。ギャグのネタにもなっていて、例えば、商店街かなんかの福引で伯剌西爾旅行が当たりましたということだけど渡されたのは航空券ではなくてスコップだったとか*2異界への入り口としての「井戸」を巡っては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20170401/1491023167 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171114/1510623236も。

*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20171213/1513139791

*2:昔、TVのクイズ番組とかで、海外旅行が当たると、JALとかPanAmといった航空会社のロゴが入ったバッグが手渡されていた。