「花月園」

「東洋一の遊園地があった駅」『なぎさ』(京浜急行電鉄)606、2017, p.10


曰く、


1914年5月、パリの遊園地に感銘を受けた、新橋の料亭花月楼の主人・平岡廣高が、東福寺境内跡地に「鶴見花月園」という遊園地を開園した。平岡がこの地を選んだ理由には、鶴見が風光明媚な土地であることに加え、東福寺が子育祈願の寺だったことが挙げられているが、その背景には、子育てに恵まれない環境で、家業の料亭を支えてくれた芸者たちへの償いの気持ちが込められていたのではないかと言われている。この「鶴見花月園」へのアクセスとして誕生したのが、「花月園前駅」である。
新しいもの好きで、好奇心旺盛だった平岡は、園内に長さ50mの大山すべり(すべり台)や電気車、観覧車、アイススケート場などを次々に設置し、子供たちを熱狂させた。1922年には花月園少女歌劇が開場し、「西の宝塚、東の花月園」と言われるほど話題に。デビュー前の美空ひばりもここで稽古を積んだという。この大正末期から昭和初期が「鶴見花月園」の黄金期。広さ7万坪までになった園は、東洋一の遊園地と称され、栄華を誇った。
平岡廣高は1934年に歿し、戦後の1946年11月に「花月園」は「閉鎖」。その後、「花月園競輪場」ができたが、その競輪場も2010年3月に閉鎖。
See also


平野正裕「関東の大遊園地・花月園と平岡廣高」http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/079/079_04.html


ところで、「東福寺」はけっして廃寺ではなく、現在も「鶴見で一番古いお寺」*1として存在している*2
北野武の『菊次郎の夏*3に出てきた競輪場は「花月園」だったか*4

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