「事故物件」化

承前*1

神奈川県座間市のアパートの一室で9名分の死体が発見された事件を巡って、そのアパートの「事故物件」*2化を巡る話が出ているようだ。被害者の葬儀も終わっていない段階で、その話というのは、ちょっと不謹慎なんじゃないかという気がしないでもない。


「【座間アパート9遺体事件】いまだ退去者はゼロ 入居者からは「住み続けたい」の声」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171102-01425637-sspa-soci&pos=1
弁護士ドットコムニュース編集部「座間9遺体事件、「事故物件」化した現場アパートはどうなる? 不動産プロの見方」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171102-00006894-bengocom-soci


『弁護士ドットコム』の記事を読むと、「事故」が発生した建物を取り壊して、一旦更地にしてから建物を新築したとしても、依然として「事故物件」であり続けるのだという。凄い〈穢れ〉の感染力! まあ「心理的瑕疵」という法律用語を宗教学(或いは文化人類学)用語に翻訳すれば、〈穢れ〉ということになるだろう*3。また、「告知義務期間に明瞭な決まりはなく、50年前に起きた殺人事件現場の物件でも、告知すべき瑕疵があるとした判決例もある」んだって!
ただ、今回の事件のアパートの場合、事件発覚(容疑者逮捕)後も、別の部屋の住人たちが退去しようとする動きはないという。また、「事故物件」をお得物件と捉える人もいるし、「事故物件」を気にする余裕のない入居者もいる。
さて、世間の「事故物件」言説についてはけっこう違和感を持っている。勿論、自らの資産価値をがた落ちにされたオーナーは同情されて、当然だろう。その一方で、世を騒がせた重大事件の現場は〈史跡〉として公的な保護を受けるべきなのでは? 京都の「寺田屋」や「池田屋*4は史跡である以前に「事故物件」であるわけでしょ? それから、歴史ということでは、例えば広島や長崎は街ごとひっくるめて「事故物件」ということになるのでは? 東京だって、東京大空襲*5の時は東京中の空き地が遺体の仮埋葬所となったわけだ。「事故物件」言説というのは、直近の小さな自殺事件や殺人事件を強調することによって、歴史的存在としての都市が抱えている(現在にとって都合がいいとは限らない)過去の歴史の記憶を抑圧する効果はないのか。
まあ、問題は〈穢れ〉なので、神主がお祓いをすればいいんじゃないかとは思う。また、〈信者〉であることの困難。日蓮宗系の法華経の行者ならば、南無妙法蓮華経のお題目さえ唱えれば、何も怖れることはない、どんな悪霊も手出しできないと確信している筈だ。クリスチャンも神への信仰によって、悪霊的なものから保護されているという確信を持っている筈だ。勿論、高等な宗教だけじゃなくて、「小沢信者」や共産党員でもそうだろう。「事故物件」なんか気にしないよという人の中には〈強い信仰〉を持っている人が多いのでは? その一方で、近代社会においては、そのような〈強い信仰〉の維持は構造的な困難を抱えている(Cf. eg. Peter L. Berger The Heretical Imperative*6*7

Heretical Imperative: Contemporary Possibilities of Religious Affirmation

Heretical Imperative: Contemporary Possibilities of Religious Affirmation