Retirement of Michiko Kakutani

渡辺由佳里*1「米文学界最恐の文芸評論家ミチコ・カクタニの引退」http://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2017/08/post-33.php


既に8月の記事だけど、書評家ミチコ・カクタニさん*2の引退を巡って。


ニューヨーク・タイムズ紙の書評欄主任(chief daily book critic)のミチコ・カクタニ氏が7月末に引退を発表した。このニュースは、瞬く間にソーシャルメディアで広まり、主要メディアも大きく伝えた。

ミチコ・カクタニは、「角谷美智子」という日本名も持つ日系2世のアメリカ人で、イエール大学卒業後、ワシントン・ポスト紙に記者として務め、タイム誌を経て、1979年から記者としてニューヨーク・タイムズ紙に加わった。83年から書評を書き始めて現在に至る。

作家ではない文芸評論家の引退がアメリカだけでなくイギリスでも大きなニュースになったのには訳がある。カクタニは、最も影響力を持つ文芸評論家として、英語圏の文学界に長年君臨した女王的な存在だった。


作家と交友関係を持たず、他者からの影響を徹底的に拒否するカクタニの書評は、新聞に掲載されるまでは誰にも予想できない。無名の新人のデビュー作を褒め、出版社が大金の宣伝費を使った大御所の作品をこき下ろす。「気に入りの作家」などというものはなく、ある作家の一つの作品を絶賛しても、次の作品を容赦なく叩きのめす。

カクタニの書評は、しばしば「(独断的)opinionated」と批判されるほど独自の鋭さを持っている。ときに、英語ネイティブでも辞書を使わないとわからない難しい表現がしばしば出てくる彼女の書評は、それだけでも読みごたえがあり、一種の「アート」として捉えられるようになった。

本来、書評は本選びの参考にするために読むものだが、取り上げられている本は読まなくても、カクタニの書評だけは必ず読むという読者が生まれた。カクタニの業績は高く評価され、98年にはピュリッツァー賞を受賞した。

カクタニの褒め言葉は作家を天にも昇る心地にしてくれるが、悪い評価は、作家を地獄に突き落とす。作家のニコルソン・ベイカーは、「カクタニからネガティブな評価を受けるのは、麻酔なしに外科手術を受けるようなもの」と表現した。


表舞台に出てこない謎めいた存在と、酷評するときの毒舌、文学界での膨大な影響力のコンビネーションが、「ミチコ・カクタニ」をテレビドラマなどでよく名前を使われるポップカルチャーのアイコンにした。

「酷評でもいいから、いつかカクタニに作品を評価してもらいたい」と思う作家や作家志望者は星の数ほどいる。ミチコ・カクタニには敵も多いが、羨望する者はもっと多い。

インターネットが普及し、大手新聞の影響力が弱まっている現在では、これだけの存在感を持つ文芸評論家はもう生まれないだろう。

ミチコ・カクタニの引退は、一つの時代の終わりを告げている。

さて、カクタニに酷評されて逆恨みしたノーマン・メイラー*3は彼女のことを”a one-woman kamikaze”と罵倒したという。ところで、何者かが車に仕掛けた爆弾で殺されたマルタのジャーナリスト/ブロガーで、「パナマ文書*4調査を主導したDaphne Caruana Galiziaさんは、”a one-woman WikiLeaks”と呼ばれていたのだった*5