「必要」の反対?

松本ミゾレ「学生の部活って本当に必要? 社会人でもないのに理不尽な上下関係に耐える必要はあるのか」https://news.careerconnection.jp/?p=39529&page=2


曰く、


先日、ガールズちゃんねるを見ていたら「学生の部活って必要ですか?」というトピックを見つけた*1。トピ主の通っていた中学校では、部活をやるのが義務だったらしく、仕方なく運動部に入った。

「中学時代は周りの目を気にして、とても無理していました。部活の良い思い出なんてないし、強制でなければしてなかったと思います」と語るこの人物。よほど部活がイヤだったのだろう。

大体にして強制される時点で、何事も楽しめなくなるもの。部活なんて好きな人だけでやればいいのに、わざわざやる気がない人に強制してもしょうがない気がする。昔の学校なんてこういうところばっかりだったなぁ。

その上で投稿者は「部活は必要だと思いますか?」と質問を投げかけているわけだけど、僕はどちらかと言えばいらないと思う。

論題とは取り敢えずは関係なく、文法というか論理の問題に先ず躓いてしまったのだった。必要の反対は不必要。では不必要の意味は? ちょっとずらしてみると、〜しなけれないけないの反対は何? しなくてもいいorしてはいけない? 英語でmustの否定must not(mustn't)は〜してはいけないという強い意味。他方、have toの否定not have toは〜しなくてもいい(してもしなくてもいい)という弱い意味。
さて、それからわからないのは鍵言葉となっているらしい「上下関係」の意味。この松本さんは「学生の上下関係なんかおままごと」だという一方で、「別に部活をしなくたって上下関係や最低限の忍耐は会得できる」ともいう。さて? 「上下関係」というのは何だか特殊な意味がこびりついているようなので、ちょっと間怠っこしいけれど、先ずは年上・年下の人との関係ということを考えてみる。年上の人(先輩)にお世話されて・自分も年下の人(後輩)の面倒を見るという経験は部活をしなければなかなか得難いのではないかと思う。現在の教育制度では、幼稚園から高校まで、場合によっては高等教育まで、〈学年〉によって輪切りにされて、同じ年齢の人と関わるばかりで、年下や年上の人たちと接触する機会も少ないのでは? 幼稚園は(できれば小学校も)〈モンテッソーリ〉にすべしという根拠の一つはここにある*2
さて、松本さんによれば、「おままごと」ではないというけれど、そもそも「おままごと」でない「上下関係」が一般的な社会関係に存在することが許されるのだろうかということを考えるべきだろう。応えは多分not have toではなくmustn'tになるだろう。現代社会が回っていくのに必須の諸々の契約関係、代表関係、信託関係などは、原理的には対等な当事者間の関係であって、「上下関係」ではないだろう。勿論、あくまでもこれは理想であって現実ではないといえるかも知れない。しかし、現実において傷つく人が反撃できる余地をつくり出すのは、この建前(フィクション)ではないだろか。理想があることによって、現実が幾分かは押っぺされ、議論のための余地(スペース)が出現する。