困った「多様性」?

諏訪原健「蓮舫氏の二重国籍問題など残念過ぎる民進党の多様性」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170731-00000086-sasahi-pol&pos=2


編集者のリードに曰く、


安倍政権の支持率急落という絶好の好機に二重国籍問題などで孤立した蓮舫氏が代表を辞任する*1など相変わらずの民進党。元SEALDsの訪原健さんがそんな民進党にかねてより抱いていた違和感とは?
曰く、

今やほとんどの有権者は、「二大政党制を機能させるために、自民党ではなく民進党に投票しよう」とは思わないはずだ。有権者が知りたいのは、次にどんな政治を目指しているのか、どんな勢力として躍進していきたいのかということではないのだろうか。

 そのように考えた時に鍵になるもののひとつは、民進党が従来から掲げている「多様性」や「共生」の理念だと私は思う。

 今の民進党を見ていると、もっと愚直にそれを追い求めてほしいと強く感じる。党内の意見が多様なのは良いことだが、蓮舫氏の二重国籍問題の時のように、多様性を排除するような考え方さえも取り込んでしまうことが民進党の「多様性」だとしたら、それは本末転倒だ。

 二大政党の一翼になるために、やみくもにテリトリーを広げるのではなく、自分たちの立ち位置をもう一度考え直してほしい。

まさに困った「多様性」だけど、ここでマークしておきたいのは民進党の「二大政党制」への拘り。諏訪原氏曰く、

(前略)ずっと腑に落ちないこともあった。それは多くの民進党議員が「二大政党制」をキーワードにしながら演説を締めくくることだ。


政権交代可能な二大政党制の実現のために…」
「二大政党の一翼として責務を果たしていくために…」


 そういう枕詞をつけて、候補者や党への支援を訴えるのだ。もちろんバランスのとれた民主的な議会のあり方を模索するのは重要であるし、民進党にいたる歴史的な経緯を踏まえれば、彼らの語りは必然なのかもしれない。

 しかし「政権交代可能な二大政党制の実現のために…」と言われると、私たち有権者は、どこかおいてけぼりな気がしてならないのだ。政治というものは、社会的なエリートによる高尚な理念の実現のためにあるのだろうかとすら思えてくる。

まあ「二大政党制」ということ自体が評判の悪いものになっているが、私見では、「二大政党制」の長所と短所とをプラス・マイナスすれば僅かながら黒字になるのではないかと思っている。それはともかくとして、「二大政党制」が存立するためには何らかの差異(対立軸)がなければならない。伝統的には、所謂(Political Compass*2的な意味における)右翼と左翼、小さい政府か大きい政府かということになるのだろう。「多様性」は「二大政党制」を存立させる対立軸になるのか。私は、ならない、というか、なってはいけないと思う。「多様性」の肯定というのは、現代世界においては、一部の極右(或いは極左)を除けば、右か左かとか、小さい政府か大きい政府かとか言う以前の合意的前提(consensual premise)というか、〈政治〉が上演される舞台としての公共空間を存立させる要件でなければならないと考えるからだ。