或るブラック企業の最後

池垣完「3月まで存続していた!? 消費者金融武富士の最期――「ブラックだけど頑張ればお金がもらえた」元従業員が語る」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170505-01328414-sspa-soci


あのサラ金の「武富士」が今年の3月まで存続していたのだという。


黒いレオタード風の衣装でエロティックなダンスを披露する女性たち――。アラフォー以上の男性ならば、今でも脳裏にこびりついているであろう。かつて、消費者金融最大手としてその名を轟かせた武富士のCMだ。

 その武富士は2000年代後半以降の過払い請求問題を受けて、2010年9月に会社更生法の適用を申請。過払い額が2兆4000億円にも達したために債務超過に陥り、事実上倒産したのだ。翌年には金融事業を営むJトラストが支援に名乗りを上げ、子会社・日本保証(旧ロプロ)に、約252億円で武富士消費者金融事業を承継させることを決定。こうして一時代を築いた「武富士」の名は潰えた……と思っていた人も多いのではないか?

 実は、武富士は名を変えて生きながらえていた。一部の事業のみを残し、「TFK」と称号*1を変更して営業を続けていたのだ。そのTFKが、今年3月17日、創業から50年を超す歴史に幕を閉じた。

 20年近くにわたって武富士で働いた元従業員が話す。

「倒産後、日本保証に売却されたのは、過払い金の発生しない優良債権のみ。過払い訴訟をはじめとした訴訟に対応する会社として、TFKは存続し続けたのです。そのTFKの運営資金は、クレジット決済機能付きのカードローン事業の売上で賄っていました。この事業だけでも毎月数億円単位の営業収益があったんです。

その稼ぎをすべて、過払い請求の窓口となるコールセンターのオペレーター約100人の人件費と、訴訟に取り組む弁護団の弁護料、わずかに残った社員の給与に当てて、細々と営業を続けていました」

また、

TFKが清算された翌日、最後の武富士社員たちは小さなお別れ会を開いたという。ブラック企業っぷりとは裏腹に、その参加者の大半が武富士の消滅を悲しんだ。

「最後までTFKに残っていたのは40〜50代の年配の方ばかり。すでに武富士を後にしたOBも何人か集まりましたが、みんな口々に『ヒドイ会社だったけど、いい思い出のほうが多かったなぁ』と話していました。

暴力も暴言も日常茶飯事。武富士暴力団と揉めたときには防弾チョッキを身に着け、鞄に鉄板を忍ばせて武井会長の送り迎えをしていた秘書もいるぐらいムチャクチャな企業でした(笑)。

けど、頑張ったぶんだけお金がもらえたんです。平社員は年収400万円でしたが、店長になれば800万円となり、ブロック長、地区長ともなれば年収1500万円以上は堅い。高卒で入って21歳で店長になるような人もザラにいたので、最後まで武富士に残っていたメンバーの大半が『お金には困ったことがなかったな』と話していました。

だから、今後の生活に不安を抱えている人が多い。普通の会社に転職した武富士OBも『武富士なら頑張れば翌年には年収が2倍になるのに、普通の会社は月収が2000〜3000円上がる程度。これじゃ、やる気が出ない』とボヤいていました。

武富士で店長まで経験しながら、今は派遣のコールセンターのオペレーター業務で口繋いでいる人もいる。武富士で働いた多くの人が再就職のハードルの高さに頭を悩ませているのです」

駅前で配っていたブルーのティッシュも懐かしいけれど。

*1:変換ミス? 商号?