大人もやるか

勝部元気*1「女児のスカートめくりという性的虐待を父親の知人や親戚がしている日本の実態」http://www.huffingtonpost.jp/genki-katsube/japan_skirt_b_14185942.html


曰く、


少し前になりますが、2017年1月4日放送の「ホンマでっか!?TV 」(フジテレビ系)のお正月スペシャルを観ていたところ、タレントのIMALU氏がスカート嫌いになったのは、幼い頃に俳優の堤真一氏等がスカートをめくって「パンツ丸見え〜」とからかったからだと明石家さんま氏が笑って語っており、私は唖然としてしまいました。なぜこれが笑いになるのでしょうか? しかも被害を受けたのは自分の娘にもかかわらず...
 
大人による少女のスカートめくりは重大な性的虐待です。大人の女性にすれば犯罪であり、相手が少女だからと言って許されるはずがありません。むしろ青少年の健全な育成の観点からすれば、被害者が成人である場合よりも悪質であるとも言えるでしょう。決して笑い話にするべきものではありません。
 
番組内では、堤氏は「めくったのではなくて、めくれているのを指摘した」のような内容の主張をしていましたが、東スポの連載でIMALU氏は「私のスカートをペロッとめくってきた」と記述しています*2。主張が食い違っており、どちらが真実かは分かりませんが、一連の出来事が子供心にどれだけのダメージを与えたか想像に難くありません。

実際、IMALU氏はそのトラウマのせいで、バレエを習っていたけど舞台衣装のチュチュがイヤで辞めた、小学校6年間はズボンしかはけなかった、制服のブレザーのスカートに抵抗があったと大変苦労した過去を公表しています。

さらに、子どもの頃、親戚とか祖父などの大人にスカートを捲られたことのある女性はかなりいるのだという。中には、ズボンをずり下げられた人もいる。

そして多くの場合、少女がそのような性的虐待に遭っている際に、父親は加害者を制止しようとすらせず、ただ笑っているだけというのです。信じられません!目の前にいながら自分の娘を性的虐待から守れないなんて、その親自身も虐待に加担していると言って良いでしょう。
 
もちろん親戚や父親の知人によるこれらの行動は、性欲が原因でも無ければ、好意が原因でもありません。単なる暴力欲や嗜虐欲です。小さな虫を殺して遊ぶように、まともに抵抗のできないからこそ、小さな幼児を相手に行っているわけです。卑劣以外の何者でもありません。
さらに状況を悪化させているのは、虐待を矮小化する日本の文化です。IMALUさんは虐待の被害に関して、「じゃれ合おうとしてくれただけ」「今では笑い話」と表現しています。女性が社会で"穏便に"生きて行くためにはそうやって被害を受けたことを矮小化しなければならない、それが今の日本社会と芸能界なのでしょう。
 
もちろん表に出る人間がそのように矮小化した言動を繰り返せば、当然市民はそれを模倣します。声を荒げて被害を訴えれば、「いちいちそんなに騒ぎ立てるなんて見苦しい」「まためんどくさいフェミがギャーギャー言っている」というセカンドレイプにも遭うわけですから、泣き寝入りを強いられているケースが大半でしょう。
子どもの頃に〈スカートめくり〉をしたことがないという男性は殆どいないと思う。しかし、大人もするのかと吃驚した。また、ズボンをずり下げるというのは普通の子どもはしない。
さて、「スカート」ということで、「セーラー服」の起源争を巡る争い。京都と博多。

元祖セーラー服は博多たい!! 案内板設置、旧福岡女学校が「発祥地」
2017年01月16日11時35分 (更新 01月16日 14時11分)



 元祖セーラー服は博多たい−。福岡市博多区の地域おこし団体「ハカタ・リバイバル・プラン」(立石武泰会長)は16日、同市中央区薬院の電柱3本に「ニッポンセーラー服発祥の地」と記した歴史案内板を設置した。女子学生の制服の代名詞「セーラー服」を日本で初めて採用したとされる旧福岡女学校(福岡女学院の前身)の跡地。立石会長は「近年、京都発祥説が台頭しているが、いわゆるセーラー服の原型は福岡で生まれたことを改めて宣言したい」としている。

 日本のセーラー服は1921年、当時の同校のエリザベス・リー校長が「着物に代わる動きやすい服装を」と欧米で人気だったマリンルック調の学生着をアレンジして導入したのが始まり、というのが定説だった。ところが10年ほど前の大手制服メーカーの調査で、京都平安女学院が1年早く水兵襟の制服を採用していたことが判明。こちらを「日本初」とする声もあるが、立石会長は「上下ツーピースやプリーツスカートになっている点から見て全国に定着したセーラー服が博多発であるのは明らか」と指摘する。

 この日は、同団体や福岡女学院の関係者6人が立ち会う中、当時の制服姿の女学生の写真を大きく載せた案内板や、「ミス・ダイヤモンド」の愛称で親しまれたリー校長が地元の洋服店で試作を繰り返しながら独創的なデザインにたどり着いた経緯を記した案内板計6枚が3カ所の電柱に取り付けられた。作業を見守った福岡女学院中学・高校の二田真知子校長(65)は「全国初とか2位とか関係なく、本校はこのセーラー服の形を変えずに守ってきた。このような案内板を設置してもらい、ありがたい」と話した。

=2017/01/16付 西日本新聞夕刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/301628