先日「ボノボ」について採り上げたのだった*1。ボノボでもチンパンジーでも、成熟した雌は生まれ育った群れを出て、ほかの群れに合流する。それ故に、ボノボやチンパンジーは父系であると言われる。人間家族に喩えると、婿入りではなく嫁入り。しかし、父系か母系かというのは、「系」という字を見てもわかるように、系譜の問題。「自分は誰の子孫かというときに母方を排除した系譜をつくるのが父系制、父方を排除した系譜をつくるのが母系制」*2。ボノボやチンパンジーは系譜意識を持っているとは考えられない。上田信『伝統中国』から抜き出してみると、系譜としての父系や母系は、「認識された過去」、すなわち「個体の体験を経ない過去の記憶」、「語り継がれたり、書物を読んだりすることによって獲得される過去の記憶」に関係している(p.85)。また、「ヒト以外の動物が、事故が出生する以前のできごとを認識することができるとは考えられない」(ibid.)。さらに、父系/母系の系譜意識が成立するには、育てる‐育てられるという相互性に基礎づけられる親‐子関係を超えた祖父/祖母‐孫関係が不可欠だろう(See p.88)。親の親としての祖父/祖母の孫であるという意識。それはさらに拡張され、或る男性先祖/女性先祖の子孫というアイデンティティの在り方になっていくだろう。ということで、ボノボでもチンパンジーといった動物社会(家族)に父系や母系という用語を適用するのは動物の過剰な人間化なんじゃないか。
伝統中国―〈盆地〉〈宗族〉にみる明清時代 (講談社選書メチエ (35))
- 作者: 上田信
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1995/01
- メディア: 単行本
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