亀戸線の話

壬生篤*1「昭和の墨田区風景、その原点にあるもの。」『すみだ地域学情報 We!』(墨田区教育委員会生涯教育課)37、2016年7月


昭和20年(1945年)の東京大空襲では、旧本所区の96%、旧向島区の57%が被災した。「その際、防火帯として大きな役割を果たしたのが、東武亀戸線明治通りだった」。


東武亀戸線では、全行程3.4キロの内3.2キロの部分が被災し、結果的に4駅が失われた(北十間駅、平井街道駅、十間橋通駅、虎橋通駅)。
曳舟駅から小村井駅へと向かう亀戸線2つ目の踏切脇には今も、虎橋通駅のプラットホームの支柱跡が残っている。虎橋通駅が廃駅となったのは昭和20年3月10日である。
だが東武亀戸線は、自らは空襲の犠牲となりながらも、沿線北側の町への延焼は防いだ。「キラキラ橋商店街」やその周辺に残る古い木造の町並みは、東京大空襲を奇跡的に免れた東京旧市街なのである。
東武亀戸線については、鈴木伸子「亀戸駅 総武線ホームから非電化の貨物線路を眺める」*2もご覧あれ。