明治仕草?

「「江戸しぐさ」はトンデモ学説」http://home-9.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-172a.html


所謂「江戸しぐさ*1に対する批判なのだが、落語が好きな方らしく、冒頭に曰く、


落語家の柳家小三冶がマクラでこんなことを語っていた。
「なかにゃ落語を聞けば江戸が分かるなんて言ってる人がいますが、分かるわきゃないでしょ。演ってる本人が分からないんだから」。
続いて、江戸時代の町人たちがどんな言葉でしゃべっていたのかも分からない。資料がない。「東海道中膝栗毛」で弥次郎兵衛と北八の言葉に「〜するベェ」という「ベェベェ言葉」が出てくるが、これが本当にそういう言葉を使っていたのか、それとも文章にしたからそうなったのか、何も分からない。ただ、江戸っ子らしい言葉ってぇものはある。江戸っ子ならこうあって欲しいという、そういうことでしゃべってるんで、あまり信用しないで欲しい。
そうでしょうね、だいいち当時の江戸で「江戸っ子」というものが存在していたのかさえ怪しい。あくまでイメージの世界であることを前提にして噺家は演じ、お客は聴く。そういう了解で成り立っている。
シャレだよ、シャレ。
ところで、以前、古典落語が前提としている世界というのは江戸時代というより明治時代なんじゃないかと思ったことがある。勿論、二本差しの侍が出てくる噺もあるわけで、そういうのは江戸時代を舞台にしているというのは疑いない。でも、侍が出てこない噺も沢山ある。何故江戸時代じゃなくて明治だろうと思ったかというと、問題は貨幣単位。江戸時代なら、金を、一文、二文とか、(庶民にとって小判は殆ど無縁だったということはあるのだが)一両、二両と数える筈。でも、少なからぬ古典落語で一銭、二銭と数えていたと思う。つまり、所謂古典落語が確立されたのは、一銭、二銭と数える明治時代だったということになる。
それこそ、江戸っ子絶滅を隠蔽する陰謀だという突っ込みが入りそうだ。