塩井社

熊本地震後の水が枯れたのは「水前寺成趣園*1だけではなかったようだ。

HuffPost Newsroom「「日本一長い駅名」由来の「塩井社の水」、熊本地震の後に枯れる」http://www.huffingtonpost.jp/2016/04/25/kumamoto-spring-minamiaso_n_9775130.html


曰く、


熊本地震の被災地となった熊本県阿蘇村では、水源の1つ、塩井社(しおいしゃ)の水が震災後に枯れてしまった。特産の米づくりなどにも影響が広がると懸念されている。朝日新聞デジタルなどが4月26日までに報じた*2

熊本県のサイト*3などによると、塩井社水源は南阿蘇村中松松の木にある塩井神社*4境内に所在するエメラルド色の湧水池だった。しかし、震災後、この池の水は枯渇状態にある。崖くずれで神社の拝殿が崩れ落ちる被害もあった。

湧き水は震災前、神社北側の山を通り、神社の森から毎分5トン、1日7200トン流れだし、飲み水や農業用水として利用されていた。水源からの水は塩井川として白川に注ぎ、南阿蘇でただ1つ西から東へ流れる「ノンボリ(上り)川」の愛称でも親しまれていた。

湧水の多数位置する南阿蘇村は、「水の生まれる里」とキャッチフレーズに掲げている。約2キロ南にある南阿蘇鉄道高森線の駅にはこの水源にちなんで「南阿蘇水の生まれる里白水(はくすい)高原」という名前がつけられている。平仮名22文字で日本一長い駅名として知られている。

ただ、やはり「塩井社」は例外的であるようだ。南阿蘇村の水源の多くは地震後も変わらずに水を供給し続けているのだった。
時事通信の記事;

湧き水、被災者支える=各地に水源「助かった」−水枯れも・熊本地震で南阿蘇


 こんこんと湧き出る澄んだ水。地震で被害を受けた熊本県阿蘇村は、「水の生まれる里」とも呼ばれ、村内の至る所で地下水が湧き出す。約4割の家庭で断水が続くが、自然の恵みが被災者の生活を支える。一方で、地震後に突然枯れた水源もあり、専門家による調査も始まっている。

 阿蘇の大地に染みこんだ雨は、20〜35年かけて地中を通って地表に湧き上がり、生活用水や農業用水などに利用されている。
 6年前に兵庫県から移住した前田幸一さん(69)は近くの「湧沢津水源」で毎日、ペットボトルに水を詰める。「熊本市内からすし店がくみに来るほどの水。避難所の炊き出しでも重宝した」と話す。車中泊を続ける自営業城戸寿和さん(62)も水源まで車で15分走り、毎日40リットルをくむ。「近くに水源があって助かった。普段こんなに水を使っていることに改めて気付いた」。
 自衛隊も県道脇の水源から取水する。村の避難所などに給水車を置いているが、幹部自衛官は「断水世帯の数の割に給水ニーズが少ない。湧き水が影響している」と話す。
 一方で、異変も起きた。神社境内で澄んだ水をたたえていた「塩井社水源」は4月16日未明の本震直後に枯れた。深さ2メートルほどの池が消え、土が露出していた。
 避難所暮らしを続ける市原一夫さん(88)は名産の「あか牛」に与える水がなくなり、毎日600リットルをトラックで牛舎に運ぶ。「牛も生き物じゃけん。水がないと生きていけない」と語る。近くの農業高木二三男さん(70)によると、37年前に日照りが続き、一時枯れたことがあった。水源の水で50年間米を作ってきたが、「今回は水脈が切れたかもしれない。このままでは田植えができない」と不安を漏らした。(2016/05/02-14:42)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016050200393&g=soc

「 塩井社の水」について幾つか;


「塩井社水源(シオイシャスイゲン)」(『阿蘇ナビ』)http://www.asonavi.jp/spots/detail/1450
「塩井社水源地」http://polaris3.blog.so-net.ne.jp/2014-08-10
「免の石、塩井社水源[熊本県]」http://www.elle.co.jp/horoscope/pick/fortunespot213_0111/mennoishi_shioishasuigen