Murakami on Springsteen(Memo)

承前*1

仏蘭西での報道;

Mathilde Doiezie “Bruce Springsteen annule un concert pour dénoncer une loi anti-transgenres” http://www.lefigaro.fr/musique/2016/04/09/03006-20160409ARTFIG00072-bruce-springsteen-annule-un-concert-pour-denoncer-une-loi-anti-transgenres.php


この報道をきっかけに、村上春樹の『意味がなければスイングはない*2に所収のスプリングスティーン論「ブルース・スプリングスティーンと彼のアメリカ」から抜書きをしてみようと思った。以前にもしようと思ったのだが、結局はしなかったのだ。


ワシントン州オリンピック半島にあるレイモンド・カーヴァーの家の居間で、二人で向かい合って彼の小説の内容について語りながら、僕はふとブルース・スプリングスティーンの「ハングリー・ハート」の歌詞を思い出すことになった。そしてこう思った。この曲の歌詞って考えてみれば、まるでカーヴァーの小説の一節みたいじゃないか、と。そこに共通しているのは、アメリカのブルーカラー階級(ワーキング・クラス)の抱えた閉塞感であり、それによって社会全体にもたらされた「bleakness=荒ぶれた心」である。ワーキング・クラスの人々はおおむね無口であり、スポークスマンを持たない。饒舌は彼らの好むところではない。それが長い歳月にわたって彼らのとってきた生き方なのだ。彼らはただ黙々と働き、黙々と生きてきた。そして長い歳月にわたってアメリカ経済の屋台骨を支え続けてきたのだ。レイモンド・カーヴァーが物語として文章に描き、ブルース・スプリングスティーンが物語として歌い上げたのは、そのようなアメリカのワーキング・クラスの生活であり、心情であり、夢であり、絶望なのだ。彼ら二人はそのようにして、80年代をとおして、アメリカのワーキング・クラスのための数少ない貴重なスポークスマンとなった。(pp.129-130)

[”Born in the USA”において]ブルース・スプリングスティーンが「俺はアメリカに生まれたんだ」と叫ぶとき、そこにはいうまでもなく怒りがあり、懐疑があり、哀しみがある。俺が生まれたアメリカはこんな国じゃなかったはずだ、こんな国であるべきではないのだ、という痛切な思いが彼の中にはある。これまでスプリングスティーンの音楽を支えてきた忠実でハードコアな「ボスマニア」たちは、もちろんそのメッセージを即座に理解した。しかし「ボーン・イン・ザ・USA」というメガヒットによってほとんど初めて彼の存在を発見した一般大衆は、歌詞の内容を聞き流し、あくまでポジティブな口当たりの良い音楽として、その曲を現象的に咀嚼した。ジャケット写真にあしらわれた巨大な星条旗も、誤解を生むひとつの要因となった。ブルースがそこに計算した逆説的でシニカルなimplication(含み)は、巨大な消費トレンドの中に、なすすべもなく呑み込まれてしまった。そしてそれは皮肉というべきか、「レーガン時代」の始まりと時を同じくしていたのだ。ブルースの側の真意がどのようなものであれ、「ボーン・イン・ザ・USA」の商業的成功の多くの部分が、レーガニズム誕生を支えたのと同じエトスによって支えられていたことには、おそらく疑問の余地はあるまい。(pp.134-135)

『ボーン・イン・ザ・USA』によって顕在化した、ロックンロール・ミュージック性とストーリー性の乖離をどのように個人的に修復していくか、というのがブルースのそれからの人生における最重要課題となっていった。それに加えて、既にワーキング・クラスではなくなってしまった人間が、大金持ちのロックスターになってしまった人間が、貧しいワーキング・クラスについていったい何を歌えるのか、という根本的な、そして道義的な疑問もあった。彼は説得力を持つ、新しい個人的な場所を見つけなくてはならなかった。それは骨の折れる、そして時間のかかる作業だった。既に(本人の望みに反して)社会的アイコンと化してしまったブルースにとって、個人性と一般性の境界線をどこに引くかというのは、おそろしく難しい作業になっていたからだ。そのあいだにスプリングスティーンは鉄の結束を誇ったEストリート・バンドを解散し、再び結成することになった。長い試行錯誤が続いた。解体があり、再構築があった。(pp.137-138)
意味がなければスイングはない (文春文庫)

意味がなければスイングはない (文春文庫)

この後で、ブルース・スプリングスティーンレイモンド・カーヴァーを比較した考察が続くのだが、それについては日を改めて。