Via http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20160405/1459810423
早野透*1「「あたしはお母さんの人生を認めるよ」――政治家・田中角栄 その傍にあり支えた佐藤昭 娘でなければ描き切れなった秘録 『昭 田中角栄と生きた女』」http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40349
佐藤あつ子『昭 田中角栄と生きた女』という本の紹介。
佐藤昭(後に「昭子」と改名)*2って、2010年に亡くなっていたのか。私の父親よりも1つ上。
佐藤昭は、昭和3年(1928年)8月5日、新潟県柏崎町枇杷島で生まれた。角栄の出身地とそう遠くなく、いまはいずれも柏崎市となっている。東日本大震災のちょうど1年前の平成22年(2010年)3月11日に死んだ。81歳だった。日本が戦争に敗れて混沌としていた戦後、佐藤昭は十歳年上の角栄に出会い、離れ、また出会った。角栄の愛人となり、秘書となり、金庫番となり、娘の敦子を産んだ。この本の著者あつ子である。それは田中角栄のネガフィルムというべきか、佐藤昭の人生をたどることは、田中角栄に陰翳のある斜光をあてることになる。それが日本政治史のなかで、田中角栄に、ほかの政治家にはない人間の魅力を与えているといえるだろう。
私が「佐藤昭」という名前を知ったときは、男みたいな名前! と思ったのだが、その男みたいな名前を世間一般に知らしめたのは、何といっても、40年前の〈文春砲〉、児玉隆也の「淋しき越山会の女王」というレポートだろう*3。今では岩波現代文庫で出ているようだが、新潮文庫で出ていた『この三十年の日本人』に収録されていたのだった*4。

- 作者: 児玉隆也
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1983/09
- メディア: 文庫
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Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%8E%89%E9%9A%86%E4%B9%9F
「無念は力 〜伝説のルポライター児玉隆也の38年〜 坂上遼著 読了」http://blog.kurogi.com/?eid=838399
秋山久「児玉隆也と田中角栄」http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no24..htm
児玉隆也の死後、当然のことながら、色々な事件が起こった。彼がもし行き続けていれば来年で80歳になる。どのような文章を書き続けていたのやら。
また、佐藤あつ子『昭 田中角栄と生きた女』を巡っては、例えば、
後藤正治*5「「昭和の父母」を問い直す娘」http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2012042900011.html
「田中角栄の娘 酒と薬に逃げて自殺未遂繰り返した過去明かす」http://news.livedoor.com/article/detail/6570576/
最相葉月*6「この三十年の日本人[著]児玉隆也(新潮社)、昭[著]佐藤あつ子(講談社)」http://book.asahi.com/ebook/master/2012052400001.html
*1:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090824/1251123952
*2:See eg. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%98%AD%E5%AD%90
*3:因みに、当時日本共産党は児玉隆也と立花隆を使った文春の田中角栄追及(追究)を福田派(清和会)の陰謀だと主張していたが、その真相についてはわからない。
*4:See eg. 「児玉隆也のこと/上川でもゆういでもない件」http://dk4130523.hatenablog.com/entry/2014/10/24/224111
*5:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120107/1325897887
*6:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090809/1249847220 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110329/1301416317 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140620/1403238552 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140622/1403407008