朱という姓

徐蕭「1500万朱姓人中多少是朱明後裔?」『東方早報』2016年4月5日


4月2日の清明節から、北京郊外の明十三陵の定陵、長陵、昭陵、神路では、「朱」という姓の人は無料で参観できるようになった。明朝皇帝の姓は「朱」であり、「朱」という姓の人には特別の優遇をしなければならないということだ。
中国大陸では、現在「朱」姓の人は約1500万人おり、人口の1.3%を占めている。「朱」姓の起源は先ず、「出自於曹姓」というのがある。曹挟という人が周の武王によって(現在の山東省にあった)「邾国」に封じられた。戦国中期以降「邾」を姓とするようになり、さらにおおざとを取って「朱」になった。そのほかに、鮮卑などの北方民族が漢化して「朱」と名乗った例がある。その末裔の殆どは現在「漢族」と認識されている。また、明朝からの「賜姓」によって「朱」と名乗った例も少なくない。あと少数ではあるが、上古の「朱蘘氏」*1の子孫、帝堯の子である「丹朱」*2の子孫、戦国時代の宋の国君「微子啓」*3の子孫「公子朱」の後裔という伝承もある。明朝の「朱」は「曹姓朱氏」であり、現在の安徽省江蘇省は「朱」姓の主要な分布地であった。
朱元璋*4は子作りにも励み、26人の「皇子」がいた。明朝末期に徐光啓*5が計算したところによると、明朝皇族の人口は100万を超えていたという。しかし、明朝末期から清朝初期にかけては、「朱」姓の皇族は農民叛乱や清朝による虐殺の恰好のターゲットとなった。この時期に迫害を逃れるために「朱」姓を捨ててしまった皇族も少なくない。
1500万の「朱」から明朝の末裔を見分けるにはどうすればいいか。ひとつの方法は名前を見ることである。朱元璋は自らの皇子のうち23人について、孫が生まれた際に20代後までの「字輩排行」を定めた。同族の世代を識別するマーカーとしての字。計460のパターンがあることになる。現存する明朝末裔で最も著名なのは元国務院総理の朱鎔基であろう。彼は「岷王」房*6の子孫で、11代目以降の「字輩排行」は「崇礼原諮訪、寛鎔喜賁従」。朱鎔基の父親は「朱寛澍」で、祖父は「朱訪緒」。