『スポニチ』の記事;
「公式ブログ」の2月23日付のエントリー;
歌手の村田和人さんが死去 62歳の若さで…80年代に活躍
1980年代を中心に活躍し、「一本の音楽」(83年)などの曲で知られたシンガー・ソングライターの村田和人(むらた・かずひと)さんが22日午後4時20分、転移性肝臓がんのため亡くなった。62歳だった。東京都出身。
村田さんの公式ブログで、息子の村田彼方さんが「父に関する訃報」として報告した。葬儀は家族葬で、後日送別会を行う予定。
1954年(昭29)生まれ。学生時代からバンド活動をし、大学卒業後に現在のヤマハに入社。その後もライブ活動を続け、82年4月にシングル「電話しても」でデビューした。親交があった山下達郎プロデュースの「一本の音楽」がCMソングに起用され、83年にヒットした。
作曲家としては故川島なお美さんや光GENJI、早見優らに曲を提供。最近まで精力的にライブ活動をしていた。
今月6日にブログで、体調不良のため一時休養することを発表し、予定していたライブを中止。報告では追悼ライブを後日行うとしている。
[ 2016年2月23日 10:48 ]
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/02/23/kiji/K20160223012092180.html
また、『オリコン』の記事;
村田和人の息子の村田彼方です。父に関する訃報をお知らせいたします。2016年2月22日16時20分に父である村田和人が亡くなりました。原因は大腸がんからの転移性肝臓がんにより亡くなりました。
7月、8月に村田バンドのメンバーで村田和人追悼ライブを行います詳細はまた追って連絡いたします。
また、村田和人の葬儀は家族葬で行います。後日、送別会を行いますので一般の方はこちらの方にご参列下さい。送別会の詳細も追って連絡いたします。
http://d.hatena.ne.jp/KAZ_MURATA/20160223
さて、山下達郎さんは何を思うか。多分、みんなそれを知りたいんじゃないか。
村田和人さん死去 小室哲哉、平松愛理ら追悼オリコン 2月24日(水)0時8分配信
22日に転移性肝臓がんのため亡くなったシンガー・ソングライターの村田和人さん(享年62)の訃報を受け、音楽プロデューサーの小室哲哉、土橋一夫氏、歌手の平松愛理らがツイッターなどを通じて追悼した。
小室はツイッターで「村田和人さんが亡くなった TM前の大事な仕事が村田さんのサポートだった。もう一度、バックでオルガンを弾きたい。ピアノはよく失敗してたな」と村田さんとの思い出を回顧。平松は「村田和人さん、早過ぎます。コーラスワークの時の歌唱法、ソロとしての歌の在り方…いつだって明るく後輩を導いてくれる人でした」と感謝し「村田さん、本当にありがとう。今はただただご冥福をお祈りします」と偲んだ。
また、村田さんの新作やアルバムを手がけ、亡くなる直前までプロデュースを担当していた土橋氏は「ひたすら明るい屈託のない笑顔と、豪快な歌声です。楽しい思い出ばかりが次々蘇ってきます」と振り返り「今は何も考えられませんが、村田さんが残された音楽を、そしてその素晴らしさと音楽を作る喜びを、これからも村田さんに代わって村田さんに出逢った人達がみんなで受け継ぎ、広めていくこと、それこそが残された者たちの使命なのだと感じています」とコメント。
続けて「これまでプロモーションやレコーディング、ライヴなど、さまざまなシーンでお世話になり、本当にありがとうございました」とお礼の言葉とともに「謹んで、村田和人さんのご冥福をお祈りしたいと思います」と追悼した。
村田さんは82年4月、シンガー・ソングライターの山下達郎の後押しでデビュー。翌年に発表したカセットテープのCMソング「一本の音楽」がヒットした。22日午後4時20分、転移性肝臓がんのため亡くなり、葬儀は家族葬で、後日、送別会を行う予定。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160223-00000359-oric-ent
村田さん*1は1954年生まれ。Wikipediaによると、ビートルズ来日は「中学生」のとき*2。1960年代後半の文化的・社会的沸騰を、子どもでも大人でもハイティーンでもなく、ローティーン*3として経験した世代。仮令メディア越しであったとしても、1960年代後半に小学校低学年だった俺なんかとは違った風景が見えていたんだなと不図思った。