「金髪」など(メモ)

女体幻想 (新潮文庫)

女体幻想 (新潮文庫)

中村真一郎*1「髪」(in 『女体幻想』、pp.63-90)


主人公「彼」の回想;


子供の頃、彼は西洋人は皆、金髪であると信じていた。それが少年時代の終り頃、夏を軽井沢で過ごすようになってから、彼等の髪の色が、実に千差万別であることに驚嘆した。
同じ金髪といっても、色の薄く白髪に近いものから、銀色に光っているもの、赤毛や黒髪が帯状に残っているもの、金属的に黄金の兜をかぶっているように重苦しく見えるもの。更に意外に多いのが褐色で、特にラテン系の人たちは専ら、そちらの方だった。彼には褐色の髪には、官能を呼び覚まされることはなかった。何となく玉蜀黍を連想させたのである。その髪が長く渦巻くのを見掛けなかったせいもあったかも知れない。
彼を最も挑発したのは、燃えるような赤毛だった。これは満開の花に似て、生なましい性器そのものを連想させた。その赤毛の所有者の女性そのものが、無根拠にも肉欲的な衝動に駆られやすい存在に思われたものだった。
毎夏の避暑地の三ヶ月ごしの生活は、彼の髪に対する観念を革命的に非日本的に変化させてしまった、と言ってもいい。
滑稽なことには、季節が終って東京に帰って来て、上野駅に着くと、構内に溢れる群衆の頭がことごとく黒い髪をいただいているのに、異様な、ほとんど一種の恐怖感を抱いたものだった。
この感覚は、自分もまた黒髪の日本人であることを、三ヶ月、西洋人のなかに混って暮している間に、いつの間にか忘れているところから来るもので、それから国電に乗り換えても、前の坐席の乗客の頭髪がやはり黒一色であるのが、何かナチの制服をでも見ているような、ここには頑固に統一された偏狭な愛国心で団結した民族がいるのだという思いに襲われるのだった。それが、今、言った「一種の恐怖感」である。(pp.76-77)

戦後になって、ヨーロッパを何度も訪ねて滞在するにつれ、この髪の色の多様性は、その人物、特に女性の下腹の髪の色との微妙な相違にも自ら慣れることになっていった。たとえば、金髪の娘の腿のあいだの髪が、陽に当らないためか、いささかの黒髪を交えていた、といった類いである。
特に、フランスでの生活は、その国民にとって、褐色の髪が普通であるということを強く印象付けた。これは西洋人=金髪という幼時の迷信を決定的に打破してくれた。そうして、それがパリで読み返した『クレーヴの奥方』という十七世紀の小説の主題が、ロワール河畔の城から城へ移動していたヴァロワ王朝の、褐色の髪の宮廷人たちのなかに、クレーヴ公国(今のドイツのデュッセルドルフ)から現れた公妃の金髪がセンセイションを起し、悲痛なプラトニックな恋におちいらせる、という、金髪と褐色の髪との対立の物語であることにも、はじめて気付かされる動機ともなっていたのだった。(p.78)
「西洋人」=「金髪」というステレオタイプを利用した演出としては、王家衛の『重慶森林(恋する惑星)』*2の林青霞を思い出す。また、統制の対象としての「茶髪」に関しては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060929/1159532653 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060930/1159586613 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090317/1237222621 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090706/1246850237 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091022/1256186586 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100213/1266069745とかも。
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