英語が法律で禁止されていたわけではなかった

章騫「二戦日本:”抵制敵性用語”閙劇」http://www.21ccom.net/articles/world/qqgc/20150109118769_all.html


大東亜戦争下日本における「敵性用語」=英語追放運動について。例えば「東洋英和女学校」は校名それ自体が非国民だということで、「東洋永和女学校」に改称させられた。また、サクソフォーンは、「金属製尺八」になった。また、「欧文社」は「旺文社」に。
ところで、幾ら国家総動員体制・翼賛体制とはいえ、英語或いは英語に由来する片仮名言葉を使ってはならないという法律があったわけではない。戦時中でも、必修ではなくなり縮小されたとはいえ、公教育における英語教育は一応続けられていた。英語追放は或る民間有志が東条内閣に提案したもので、国防婦人会*1などの民間団体を通して、実践された。中国の文化大革命が民主的だったというのと同じ意味で、こちらの方も民主的だったといえる。ここから汲み取れる教訓は、民間反革命*2或いは積極分子に煽られた〈世間〉の空気による抑圧は、暴力装置を使った国家権力による抑圧と同様に、時にはそれ以上に危険であることである。

*1:See eg. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070816/1187263528 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090816/1250438039

*2:黴の生えた左翼用語をつかってごめんなさい。