撤退していた『週刊文春』、とか

承前*1

宝島「殉愛騒動」取材班「百田尚樹“作家タブー”の深い闇…「たかじん長女手記」を潰していた『週刊文春』」http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141224-00010000-takaraj-soci


百田尚樹『殉愛』を巡って、出版社系週刊誌が次々と百田/さくら(やしきたかじんの後妻)組の軍門に降っているという話。記事のハイライトは、最後の方で述べられた、この件を巡る『週刊文春』の変貌ぶりか。「当の百田センセイ自らが“記事潰し”に関与していたというから驚きだ」に続いて曰く、


その舞台となったのは、ほかでもない、新年合併号からセンセイの連載が始まるという『週刊文春』だ。事情を知る文藝春秋関係者が語る。
「実はたかじんが亡くなった直後から、さくらの素性に疑いを持ち、いち早く報じてきたのが、いまや百田さんの“広報誌”と化してしまった『週刊(文春)』(文藝春秋社内では月刊『文藝春秋』と区別するためにこう呼ばれる)でした」
週刊文春』は、たかじんがガンで再休養していた13年末段階から「長期療養中やしきたかじん 再々婚した32歳下一般女性の正体」(12月19日号)、たかじんの死後も「やしきたかじん『参列者5人』葬儀の謎」(14年1月23日号)、「親族から噴出 やしきたかじん32歳下未亡人への怒り  遺骨を『マカロンみたい』」(同年2月6日号)と、さくらの正体や、彼女と遺族との確執について詳報し、まさに独走状態だった。前出の関係者が続ける。
「そして『週刊』は、さくらに対するトドメの一撃として、昨夏のお盆休みの合併号に、たかじんの長女の手記を掲載する予定でしたが、校了直前になって掲載が見送られたのです」
 関係者によると、『文春』では、長女の手記を記事にまとめた後、最終的な事実確認のため、さくらが、たかじんの生前から同居していた大阪のマンションを訪問。取材を申し込んだという。関係者がさらに続ける。
「ところがその直後に、編集部からストップがかかり、取材班は大阪から撤退。記事掲載も見送られたのです。
 表向きの理由は『さくらと長女は現在、遺産をめぐって係争中で、法務(部門)が係争中の案件を記事にするのはまずい、と難色を示した』というものでした。が、さくらと長女が遺産をめぐる係争中であることは企画段階から分かっていた話ですし、そもそも『係争中』を理由に記事掲載を見送っていたら週刊誌など作れない。編集部内でそんな“理由”を信じる者は誰一人、いませんでした。
 これは後になって社内で分かったことですが、取材班がさくらに取材を申し込んだ直後、百田さんから新谷(学『週刊文春』)編集長の携帯に直接、電話があったそうです。おそらく、さくらから依頼を受けてのことでしょう」
 それ以降、『文春』編集部では「さくら」がタブーとなり、今や百田センセイの“広報誌”と化したことは前述の通り。
 この記事潰し疑惑について取材班は『殉愛』版元の幻冬舎を通じ、百田センセイに確認したが、センセイは自らが新谷編集長に電話を入れた事実も、さくらから記事潰しを依頼されたという事実も否定した。
ところで、家鋪さくらさん、『Will』に手記を寄稿したらしい*2百田尚樹の差し金だということは容易に想像できるが、戦略を誤ったのでは? いくら熱湯浴に愛読者が多いらしいとはいっても、上の記事で批判されている週刊誌を含むメジャー雑誌に比べれば、インパクト・ファクター(笑)が低いことは否めないだろう。また、『Will』に載っけることで、真ん中よりも左の人たちを敵に回してしまうという危険も増す。その中には、『Will』と聞いただけで、信憑性が劇的に低下すると感じる人も少なくないのだ。
さて、百田尚樹と利害関係のないメジャーな出版社というと、岩波書店筑摩書房、マガジンハウス? これらはみんな週刊誌をやってないな。集英社はどうだろうか。『週刊プレイボーイ』に頑張ってもらうしかない?