「絶景」ブーム(メモ)

武田砂鉄*1「“データ修正”された絶景写真集がブームになる理由」http://bylines.news.yahoo.co.jp/takedasatetsu/20140621-00036609/


曰く、


書店の旅行本コーナーへ行くと、絶景本が溢れている。何冊も連なり、ありとあらゆる絶景が賑やかにひしめき合っており、「死ぬまでにコレだけは観ておきたい」だとか、「低コストで観に行ける」だとか、誰しも観たくってたまらないものとして「絶景」が旅行本コーナーを占拠している。数々の名紀行文から旅の醍醐味を教え込まれてきた自分にしてみれば、旅行本の“領土”がすっかり“不法占拠”されている現状に、身勝手ながら苛立ちが募る。

それらの写真集のいくつかをブツクサ言いながらも開いてみて感じる強烈な違和感は、その絶景写真の殆どが多分にデータ修正されていることだ。皆、女優やアイドル写真の修正については「○○はイジリまくり」と厳しいくせに、絶景の修正にはとことん甘い。海はこれほど分かりやすく青くないかもしれないのに、木々がここまでド派手な緑を発することはないかもしれないし、沈む夕日はここまで赤々としてないかもしれないのに……つまり、色彩のニュアンスがごっそり欠落している。綺麗さっぱり整った色彩に修正されている写真に少しも違和感を覚えない人がこれらの本を買っているのだとしたら、この手の写真集を購入する人はおそらく旅慣れしていない人だろう。

色調を整えて即物的な癒し効果を作り上げる、という行為は「行ってみたらそんなでもない」という残念な結果をも作り上げる。店頭の立て看板の写真を見て「本当にこんなにかわいい子がいるの〜?」と入り口のボーイに疑ってかかるも入店、修正写真と実物の差に愕然とさせられる夜のお店、と遠くない。日本の伝統色の豊かさはあらゆる芸術の豊かさに直結してきた(参照:和色大辞典*2)が、絶景をフォトショップで加工しまくる働きかけは、そういった豊かさを豪快に裏切っていく。

たしかに、日本へ帰ったとき、ファミマで『絶景』なんちゃらという本を見かけた。

絶景本ブームの理由、色々とこじつけることが出来る。実際に行くぞという意気込みはなくとも、鑑賞するだけで得られる癒し効果。しかし、「5日間で〜」と謳う絶景本もあるから、あくまでも行ってみたいという最終目的を捨ててはいない。それよりも気になってしまうのは、見るだけにしろ実際に行くにしろ、ひとつの旅をするにあたって、「ここに行って、あれを見るのが、盛り上がりの絶頂です」と、目的を前もって超明確に用意する旅ばかりになってきていること。10年くらい前から静かに佇み続けるライフスタイル系の雑誌が好む、「地元民が集う朝市に立ち寄ってみた」とか「ステファニーさんがコーヒー豆を挽く音だけが響く昼下がり」というような、何気ない瞬間がちっとも顔を出さない、マッチョ体質に変容しているのだ。
それから、「絶景本」を買う人というのは実はあまり旅行には行かないようなのだ。「絶景本」の購入と(『地球の歩き方』などの)ガイド本の購入との相関係数は低い。相関係数が高いのは「自己啓発本」であるそうな。
絶叫*3ではない?